2005-08-04 第162回国会 衆議院 農林水産委員会 第23号
乳牛は生まれ日も全部わかっているから、そこのところは進んでいるんですが、実は肉牛の生産記録なり月齢管理、個体識別というところは大変おくれていて、恐らく輸入が再開されても、当初は、こういう記録がそろっていないから、ほとんど一〇〇%肉質判定に基づくものしか入ってこない。
乳牛は生まれ日も全部わかっているから、そこのところは進んでいるんですが、実は肉牛の生産記録なり月齢管理、個体識別というところは大変おくれていて、恐らく輸入が再開されても、当初は、こういう記録がそろっていないから、ほとんど一〇〇%肉質判定に基づくものしか入ってこない。
そして型のごとく、おまえ何というか、住所はどこか、生まれ日はいつだ、こうなった。そうしましたら、何年何月何日と聞いています、こう言ったというんです。そうしましたら、きさまふまじめなやっだ、自分の生まれ日を、何々と聞いておるとは何事か、こういうふうに怒ったというんです。
しかし例の、百二十歳まで長寿を合うされました泉重千代さん、生まれ日がどうこうとか週刊誌が書いておりました。はっきりしないところにあの百二十歳の重みがあるというものでございましょう。私も大正十四年五月二十四日と言われております。
あしたはお釈迦さんの生まれ日ですが、やはりお釈迦さんでもわかりますめえという言葉もあるけれども、この日本が政策の間違いで眠るがごとく大往生してしまったのではかなわないのであります。
ただ科学的ということだけでいうならば、自分の生まれ日でも戸籍と非常に違っておるのがございます。自分の生まれ日でも戸籍簿とほんとうに生まれた日と非常に違った者があります。かようにして国の古い生まれ日がそう科学的にはっきりとわかるなんということは皮相の見解である。ものの見方が違っているのであります。肇国の精神というものは日本だけしか持ち得ない。