2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
確かに、今までは、勲五等瑞宝章や吉川英治文化賞、あるいは群馬県の功労賞を受賞されているということはもちろん承知をしています。しかし、それにとどまらず、やはり私は重要文化財としての指定を行うべきであるというふうに思っています。 この件について、昨年の五月十八日に文部科学委員会において、我が党の先輩である川内博史議員が詳細に質疑を行っております。
確かに、今までは、勲五等瑞宝章や吉川英治文化賞、あるいは群馬県の功労賞を受賞されているということはもちろん承知をしています。しかし、それにとどまらず、やはり私は重要文化財としての指定を行うべきであるというふうに思っています。 この件について、昨年の五月十八日に文部科学委員会において、我が党の先輩である川内博史議員が詳細に質疑を行っております。
相沢忠洋さんについては、勲五等瑞宝章、それからその前に吉川英治文化賞、さらには群馬県功労賞というようにいろいろな賞は受賞されておられますし、きょう、委員がこれだけ紹介をしてくださったので、私どもの耳にもしっかりと入って、こういう方がいらっしゃったんだなということで受けとめさせていただきましたので、重要文化財と個人との話については先ほど申し上げたとおりでございます。
現在の叙勲体系からは瑞宝章となりますが、瑞宝重光章が最高となるということですね。一方、在日米軍司令官などは、一年か二年の日本勤務で通常、旭日大綬章が贈られます。これは、外交儀礼、致し方がないことかもしれませんが、三十数年国家に奉職して自衛官の最高位に就いた者が叙勲されるのが瑞宝重光章というのはいかがなものかと私は思います。
このラジャーというのはマレー語で王、王様の王という意味で非常に出身の立派な方なんですが、その人が日本とそれからアジアの発展のために大変尽くされて、ASEANの結成にも大変な努力をされて、昭和四十五年に天皇陛下から勲二等の瑞宝章を授与されております。
そして、長くやったということについて着目をした場合には瑞宝章、そして、長くやったということではなくて、功績というものが評価されるということについては旭日章ということであるというふうに私は記憶をいたしておるところであります、間違っておればまた後で訂正をいたしますが。そういうように変わるのだということになります。 その中において、では新しいそういう制度において、自衛官というものをどのように考えるか。
その主な内容は、勲一等、二等というような数字による表示を廃止することといたしまして、ランクを大幅に簡素化するということ、それから、旭日章、瑞宝章、このいずれも男女共通の勲章として運用するということ、それから、自己を犠牲にして社会に貢献した者への配慮をすることというようなことを柱としておるものでございます。
それからもう一つ、勲章のランクでございますが、現在は旭日章と瑞宝章というものがございまして、これはもうすべてランクが違うんです。現在十二段階ということになっておりますが、これは煩雑で、かつ細分化され過ぎていると、こういうようなことで、簡素化をしようということになりました。六段階になりました。 そして、その六段階を瑞宝章とそれから旭日章に分けております。
それで、後でいろいろ伺いましたところ、日本とシリアの学術並びに文化交流において大変貢献がおありになって、それで、去年でございましたかしら、十四年の春ですからそうでございますね、勲一等瑞宝章を受章していらっしゃる。そういう方が日本とシリアの間においでになるというのも、これもまたチャンスでございます。
それから、現在、旭日章と瑞宝章を半格ずらしまして非常に勲等が煩雑になっておるということがございますが、功績の質によりまして旭日章と瑞宝章を使い分ける、別系統の勲章とするということによりましてそこを整理合理化しろということ。 それから、一般の受章者に対しましては、旭日章と瑞宝章を男女共通の勲章として使用すること。
例えば、自衛官で制服組で一番トップまで上り詰めたとして統合幕僚会議の議長ですけれども、そこまでやられたとしても勲章の相場は勲二等瑞宝章でございます。そのことを防衛庁の事務方に申し上げましたら、いやいや、事務次官も勲二等ぐらいだから大体これでいいんですということをおっしゃいましたけれども、一方で、在日米軍の大将には勲一等旭日大綬章をお渡しになっている。
続きまして、先日、日本のスポーツの大恩人で、勲三等瑞宝章を受章され、吉川英治文化賞をも受賞されました和田勇さんという方が九十三歳で逝去されました。この方は、和歌山の御坊市の名田町というところで生まれられました。お父さんは善右衛門さん、お母さんはキシノさん、こういうふうにおっしゃいますけれども、この人は名田町の尋常小学校を途中でやめられてからアメリカに渡りました。
勲四等瑞宝章をあのとき差し上げて、そして先ほど御紹介ありました勲三等は、その後の日系人としての御活躍に対して、平成元年に勲三等瑞宝章ということでございます。 さらにこの上にということで、私もこのお話を聞いたときに、叙位というようなこともあるのではないかと思ったのでありますが、これは日本の国籍の方にしか与えられないということもございます。
これ、先ほど賞勲局長の説明にありましたように、旭日章の系列、その上に菊花章の系列があって、それから瑞宝章の系列があって、それで八等まである。これをたどっていくと十九段階になる。そんな細かく細切れするのかねと、これはもっと大まかにくくったらどうかとか、そんな議論もございます。
その後、明治二十一年に現在の宝冠章、瑞宝章の根拠の勅令が出されまして、さらに昭和十二年になりまして現在の文化勲章ができたわけでございます。これが勲章の一連の沿革ということでございます。
調べてみますと、川勝氏は平成六年春に勲一等瑞宝章、日興証券の梅村正司元会長も平成七年秋に勲一等瑞宝章をお受けになっていらっしゃいます。
特に芸能界、我々の御審議をいただいている分野とは違いますけれども、ああいう皆さんも文化勲章以外の、旭日章だとか瑞宝章、宝冠章、これらをいただける皆さんがどんどんふえてまいった。そうしてそれをマスコミ等は大きく載せる。役人が大きな勲章をもらってもそんなものは記事にならない。
これは外務大臣には申し上げたことあるんですが、マレーシアの元上院議員で瑞宝章を受章されたラジャー・ダト・ノンチックという方、これは南方留学生で、戦時中の日本への留学生ですが、その人が一九八九年の四月にクアラルンプールでこういうような詩を述べているんです。
その中の一人にラジャー・ノンチックという人がおりまして、この人はマレーシアの元上院議員で、一九八四年四月二十九日の昭和天皇の誕生日に、日本とマレーシア、日本とASEANとの友好促進に貢献した功績によって日本政府から勲二等瑞宝章を受章されております。 この人がどういうことを述べておられるかというと、私たちアジアの多くの国は、日本があの第二次世界大戦を戦ってくれたから独立てきたのです。
また、叙勲と申しますか表彰の面においても、勲一等旭日大綬褒章、これは昔は軍人の方にやられた最高の表彰だと聞いておりますが、これを受章されるのが政財界の大物だとか旧帝大の学長だとかノーベル賞の学者であって、勲一等の瑞宝章においても、検察庁の検事総長とか、証券会社の社長、省庁の事務次官、警察庁の長官、警視総監、これがもらっておりますが、自衛隊のトップである統幕議長は勲二等の瑞宝章である。
次に、一九八四年の四月二十九日の昭和天皇誕生日に、日本とマレーシア、日本とASEANとの友好促進に貢献した功績によって日本政府から勲二等瑞宝章を受章されたマレーシアの元上院議員で、かつて我が国の南方特別留学生として我が国に留学をしていたラジャー・ダト・ノンチックという元上院議員が次のように述べているわけです。ちょっと読ませていただきます。
それも瑞宝章ですよ。つまり、制服で長年苦労されてもほとんどの人は勲章はもらえない。もうそろそろそういう面においても名誉の問題についてやはり配慮をし、そうした点についていろいろ御苦労いただく反面、そうした名誉も認める。これが国家として、また政治の立場の配慮ではないか。この点について伺います。