2021-04-19 第204回国会 参議院 決算委員会 第4号
古くは、日本民族は単一民族だというような発言がありましたけど、直近でも、二〇二〇年のときに、これ麻生さんでしたかね、二千年の長きにわたって日本は一つの民族、一つの王朝が続いている国なんだというようなことを言ったりとか、その都度やっぱり問題になっていて、それが繰り返されているというところが非常に問題でありまして、そういうことがやっぱり繰り返されないように閣僚の間でもしっかりとした意思統一をやっていただきたいということを
古くは、日本民族は単一民族だというような発言がありましたけど、直近でも、二〇二〇年のときに、これ麻生さんでしたかね、二千年の長きにわたって日本は一つの民族、一つの王朝が続いている国なんだというようなことを言ったりとか、その都度やっぱり問題になっていて、それが繰り返されているというところが非常に問題でありまして、そういうことがやっぱり繰り返されないように閣僚の間でもしっかりとした意思統一をやっていただきたいということを
沖縄が何よりも優位性があるのは、やっぱり地政学的な優位性というのが一番沖縄という立地にあると思いますし、歴史的に、琉球王朝の時代からいわゆる中継貿易国家であったということを考えたときに、やっぱり物の流れのハブ機能をどう持たせるのかということが一つ大きなテーマになると思っておるんです。
歴史的に見ると、漢民族の王朝のときとそれ以外の王朝のときで決定的な違いが出る、これは間違いない歴史的な事実であると思っておりますが。
ですから、今回のアグーにつきましても、琉球王朝のときからずっと伝統があって、沖縄での大規模な陸上戦闘のもとでほとんど死滅してしまった。その後、沖縄の県民の方々が懸命な御努力のもとに復活をさせて、それでまたこういう事態が起こったということでありますので、久米島の方に今移動が始まっています。第一陣が移動、終わったのかな、移動して、第二陣がもうすぐ出発すると思います。
その中に食文化は当然入っているわけでありまして、アグーは、琉球王朝に起源を発して、大変な沖縄戦を経験されて、そのときにほとんどのものが死滅に近い状況まで追い込まれたものを、戦後、大変な御努力によって復活をされた、その先人の御努力は本当に尊敬に値するものですし、それについては我々は尊重しなければならないと思います。
琉球王朝時代の首里城は、その役割から大きく三つの空間で構成されておりまして、政治、行政の空間、生活、儀礼の空間に加え、祭祀の空間がございました。祭祀の空間につきましては、京の内や首里森御嶽の復元を行ったところでございまして、これらの施設については、今回、幸いにも火災の被害を免れたところでございます。
私は、琉球王朝の歴史に詳しい専門家のお話も伺ってきました。そういうことも踏まえて、きょう、幾つかの提案も含めて質問を行いたいと思います。 首里城は、日本的な建築と中国の建築が融合し、沖縄的な要素が加わっている、木造建築物としては世界で唯一無二のお城だ、このように専門家は評価しております。地元紙にも載っておりました。
○赤嶺委員 県民のそういうたどってきた、まあ琉球王朝文化もありますが、戦後復興のシンボルという歴史的な思い、そういう感情を政府が敬意を払うということが、この再建事業に当たって極めて大事だと思います。 それで、再建に当たってなんですが、九二年の復元時の実績に基づいて取り組むから、八〇年代復元に取り組んだときよりは早くできるだろうといういろいろな意見が出ているわけです。
○衛藤国務大臣 首里城は沖縄にとって極めて重要なシンボルでありまして、今お話しございましたように、まさに、琉球王朝が始まってから、首里に人が置かれ、そしてその中で頑張ってきた。その間に三度ほど焼失しましたが、そのたびごとに再建をしながら来たところでございまして、そういう意味では、まさに沖縄の文化、歴史、伝統を凝集したものだというぐあいに思っています。
沖縄の方々、県民の皆さん方のためにはもちろんでございますけれども、琉球王朝の存在をしっかりとやはり知らしめるために、また、地方創生や地域の活性化のためにも、国が強力に支援をして、一日も早い再建を果たすべきであると考えております。 安倍総理にその決意をお伺いをいたしたいと思います。
首里城は琉球王朝の王府であり、当時の政治、外交、文化の拠点であります。首里城は、まさにウチナーンチュの魂、マブイそのものです。河野大臣を始め、政府関係者、委員長及び各委員におかれましては、首里城再建のためにお力をかしてくださるようお願いを申し上げます。 そこで、河野大臣に尋ねます。
英語でハーシム王朝を言うときにハーシマイトになったんです。それをローマ字で読んでハシミテにしちゃったんですよ。そうすると、みんなハーシムだと思っているのがハシミテって、訳分からぬ話です。しかも、これ王国なんです。 大臣、伺いますけれども、例えばですよ、我が国の天皇家に対して外国人が不思議な名称で呼んだ場合、我が国の国民はどういうふうに感情的に思うでしょうか。天皇家と王国ですから。
そこで、例えばですよ、もちろん私が決めるような大それたことを申し上げることはなかなかいきませんけど、大臣、ハーシム王朝が想定されるような名称、例えばヨルダン・ハーシム王国とか、いろんな形があると思いますが、そこに変更を御検討するというのはいかがでございましょうか。
さて、この大臣がまたお好みの泡盛、これについて少し話しさせていただきますけれど、泡盛の歴史は古くて、琉球王朝時代から作られておって、いろんな変遷が時代とともにあって、原料も変わってきたんです。
日本は、王朝が一度も滅びることなく続いてきた唯一の国、現存する世界最古の国であります。現存するもので日本の次に古い王朝はデンマークであり、その起源は十世紀前半。その次に古いものがイギリスで、一〇六六年からの王朝だと言われております。これらの国々を圧倒的に超えて、長い時間日本の皇室が継承されてきたことを、世界の人々は驚きと敬意を持って見ているのです。
また、女系を容認するヨーロッパの国では、家系が女系に移ると王朝名が変わります。王朝の交代という、日本がかつて経験のしたことのない激変が起こることになります。そういうことが起こらないように男系継承を明確にすべく、女性皇族は結婚と同時に皇籍を離脱なさるのです。したがって、日本の歴史上、女系天皇というものは一人も存在しておりません。
沖縄県にとって豆腐ようは、名産品という表現にとどまるものではなく、琉球王朝時代から継承されている歴史と文化の結晶であり、今回の表現は沖縄そのものをやゆするものです。沖縄の県民感情やまた原発事故で被災された方々の気持ちを考えれば、到底受け入れることのできない表現が教科書に引用されたことにとても衝撃を受けました。
この日の日朝交渉で明らかになったことは、北朝鮮の国家目標は、徹頭徹尾、核弾頭とその運搬手段である大陸間弾道弾、ICBMを保有し、米国との直接交渉によって金王朝体制の存続を保証してもらうことでございました。 一九九三年から四年にかけまして、米朝枠組み合意もございました。また、六カ国協議もございました。北朝鮮の意思は、この二十七年間全く変わっておりません。
王朝は男系で継承するというのは世界でも普遍であります。女系で継承すれば、そこから先は違う王朝になるということであります。イギリスにおいても、ヨーク朝からチューダー朝、チューダー朝からスチュアート朝、そこは継承がかわった、そして王朝がかわったということであります。
その観点から、亡命政権構想、当事者、それをつくろうという当事者の間から出た意見ですけれども、金一族、金王朝の金一族から次期の指導者を立てようということ、ある意味でいいますと、形式だけ見ると金王朝が続くということになるんですけれども、人を替えるという形ですね。より穏健な、危険思想を持たない金王朝の一員に替える、そのことを通して安心して側近が離反するという格好をつくりたい。
長い日本の歴史を顧みても、世界最古の王朝である皇室がなぜこれほど長い間続いてきたのか。それは、国の権威と権力が分離をしており、皇室は日本最高の権威を保ち、国を統治する国家権力は武家等が行使をしてきました。だからこそ、どのような権力者も天皇に取ってかわろうとは考えなかったし、易姓革命のようなことはこの日本では起きることがなく、神話の時代から連綿として続く皇室が今でも継続をしています。
私自身も、実は、沖縄では琉球王朝絵巻といって、中国の冊封体制だったときに、冊封使が首里城に来たときに、王様に認めるよというふうにやった絵巻の行列儀式というのを復元したものがありまして、私も初めて参加したのは二十年前ぐらいになりますけれども、そんなものに参加して、中国から来た役人さんの格好をして行列を歩いたりみたいなことをしています。
しかし、五百年以上にわたって続いた李氏朝鮮王朝が日韓併合によってここでついえたという、この韓国、朝鮮半島のアイデンティティーの喪失というのは、私は、非常に日本人が忘れている部分じゃないかというふうに思うんですね。 総理は、過去に村山談話などについては非常に厳しいコメントもされてきた。
○細野委員 総理から朝鮮王朝についてはコメントがありませんでした。 単純比較はできませんよ。もちろん歴史も違うし、それぞれ国民の理解も違う、しかし、我が国は天皇家を持ち、それが国家のアイデンティティーとして非常に継続している。それは一つ非常に大きいですよね。途中、苦しい時代もあったけれども、そのときも天皇制をしっかり守ってきた。
十五世紀に王朝が、王国が建国をされて以来、約五百年にわたって、皆さんのお手元に先史時代からの略年表をお示しさせていただきましたけれども、一八七九年に、いわゆる琉球処分と呼ばれる、明治政府によって、歴史の教科書によれば四百人からの軍、警官が首里城になだれ込んで廃藩置県を迫り、そして日本の県にしていった。沖縄県をそこからつくった、つまりは琉球王朝はここで途絶えてしまった、こういう歴史があるわけです。
米国防省が二〇一四年三月に発表いたしました、北朝鮮にかかわります軍事・安全保障動向に関する年次報告書は、北朝鮮の戦略的目標が金王朝の生存と北朝鮮の人々に対するイデオロギーによる統制を永久に確保することであるというふうに述べているところでございます。
○黒江政府参考人 アメリカの国防総省の見方について大臣が同意されるかどうかということにつきましては、後ほど大臣からお答えがあるかと思いますけれども、今先生がお引きになった部分なのかどうかあれですが、他方で、国防総省の北朝鮮に係る軍事・安全保障上の展開という二〇一三年版の文書におきますと、北朝鮮の体制の戦略目標といたしましては、金王朝の生存と北朝鮮の人々に対するイデオロギーによる統制を永久に確保することである