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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-03-19 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

あれは、古代エジプトの新王国時代今から三千年から三千五百年前の古代エジプト人死生観、死の捉え方を現時に伝えるという。紙というものは保存に非常に適していた、パピルスは紙の一種ですけれども、といったことが分かっています。例えば、人類がいつか生物として滅んでいった場合も、パソコンとかの電子ファイルは一切消滅して恐らく残らないでしょう。

吉田統彦

2020-06-19 第201回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

琉球の伝統的な建材であるチャーギとオキナワウラジロガシも調達をするということで聞いておりますけれども、琉球王国時代首里城に使われていた畳につきましても、かつて琉球畳七島イと呼ばれるものを原料として作っておりました。これは今、大分県の国東半島に僅かに残る形でありますけれども、この七島イを使った畳は、実は前回東京オリンピック柔道競技でも正式に使われていたものでもあります。  

秋野公造

2020-06-19 第201回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

前回の復元では、琉球王国時代歴史資料等を根拠として、正殿におきまして、国王の玉座であります御差床などに畳を使用していたところであります。  御指摘の点につきましては、まずは往時の御差床の畳の材料がどのようなものであったのかということを示す資料につきまして確認をさせていただきまして、有識者の御意見も伺いながら、御指摘七島イを使用する可能性も含めまして検討をしてまいりたいと考えております。

長井俊彦

2019-03-20 第198回国会 参議院 農林水産委員会 第3号

そういうことでお聞きいただきたいんですが、泡盛は、琉球泡盛で有名ですが、これ起源は、琉球王国時代から王府が管理して、原料も王府から提供されて、ずうっと時代を変遷しながら、米とアワを交ぜて造ったこともあるんですね。それから、ずうっと時代が流れてまいりまして、アジア各地で確保していた米が、大正の末期から昭和の初期にかけてタイ米が定着するんですね。タイ米原料とするということで定着。

儀間光男

2017-02-22 第193回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第3号

実は、沖縄はかつて琉球王国時代国津梁時代というふうに言われておりましたけれども、アジア国々をつなぐ一つの懸け橋として活躍をした時代がありました。多様なものを受け入れる寛容さといいましょうか、相互扶助精神、さらには未来を創造するためのたくましい県民性があったわけです。  ところが、去る太平洋戦争で沖縄は過酷な地上戦が展開されて、二十万人余に及ぶ尊い生命を失っています。

糸数慶子

2012-03-21 第180回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

これは、琉球王国時代首里城正殿に掲げられていた鐘がございまして、それは沖縄戦のときにアメリカ軍戦利品としてアメリカに持っていっておりましたが、それを取り戻して、現在の首里城にございます。  この鐘は、一四五八年、時の尚泰久という王様のときに作られたものであります。当時のアジアにおける琉球王国面目躍如たる姿がこの万国津梁の鐘に刻まれておるわけであります。

山内徳信

2011-09-16 第178回国会 参議院 本会議 第3号

かつて琉球王国時代には、万国津梁として、近隣国のみならず、アジア全体の国々懸け橋として交易をしてきた歴史がございます。  この際、那覇—台北間、空路で約一時間というような地政学的にも優位性のある沖縄を拠点としてのアジア戦略を考えていく必要があると思いますが、どのような仕掛けあるいは方策があるか、総理の御見解をお伺いします。  ロシアと日本関係についてお尋ねします。  

島尻安伊子

2011-05-26 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号

それは、琉球王国時代のものが廃藩置県によって東京に移されてきたわけです。そして、それが復帰後、沖縄に戻すという話がまとまりまして、それはもう精神的な問題ですから、愛着の問題、誇りの問題ですから、非常に県民は喜びましたですね。そして、やはりその後、いかに保存していくかということもテーマになって議論をしたんですが。  

山内徳信

2009-01-06 第171回国会 衆議院 本会議 第2号

十八世紀琉球王国時代、最大政治家と言われた蔡温は、当時の琉球王国を取り巻く政治状況を次のように述べておりました。「琉球政治は、朽ちた縄で荒馬を御するがごとく。」  これは、中国、薩摩、日本朝鮮との間で琉球王国が微妙なバランスを保ちながら政治を進めてきたことを象徴しております。ある意味、衆議院と参議院がねじれている今の政治状況と同じであります。  

下地幹郎

2008-05-21 第169回国会 衆議院 文部科学委員会 第10号

また、東京国立博物館において購入いたしましたこぶ牛文装飾皿につきましては、紀元一世紀のイランのパルティア王国時代ペルシャ美術の優品でございまして、部分的な鍍金がよく残っておる、またペルシャ文の銘文が記されてあるということから、五人の評価額の最高と最低を除いた平均額が三千五百万円ということでその決定をしたというふうに伺っておりまして、私どもとしては、いずれも適正に手続に従って行われたものというふうに

高塩至

2004-04-23 第159回国会 衆議院 外務委員会 第13号

琉球王国時代琉球は、武力に頼らず万国津梁精神で、アジア国々交流交易を通して、平和で安定した国を築き繁栄していたことはよく知られていると思います。  二十一世紀アジア時代ともよく言われますが、我が国は近隣諸国との文化的、人的、経済的交流等を強化し、活発に行っていくことを望むものです。

東門美津子

1999-05-24 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第11号

既に、平成四年に作成いたしました世界遺産推進のための暫定リスト琉球王国時代遺産群を登録いたし、推薦のための準備を進めてきたところでございますが、去る五月二十一日に開催されました文化財保護審議会で、首里城址を初めとする琉球王国のグスク及び関連遺産群世界遺産推薦について了承いただいたところであります。

有馬朗人

1998-02-02 第142回国会 参議院 予算委員会 第4号

むしろ、もしそうした議論をいたさなければならないのであれば、あるいは沖縄県民本土の私たちの間、琉球王国時代から廃藩置県を経て琉球処分と言われました不幸な時代、そしてその後におきましても存続をした沖縄県独特の、例えば人頭税が廃止されるまで、本土の各都道府県と同等の税制がしかれるまでにどれだけの時間がかかったのか。

橋本龍太郎

1991-10-02 第121回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

かつて琉球王国時代、沖縄人々は、いわゆる琉球人々は、日本本土はもとよりでありますけれども、中国朝鮮、東南アジア、遠くは太平洋諸国に至るまで交易をし、富をもたらすだけでなく文化をも流入し、津梁をもって万国のかけ橋とたすという広大な気概に燃えていたわけでございます。

玉城栄一

1991-03-18 第120回国会 参議院 大蔵委員会 第6号

そして、琉球王国時代における奄美の方々と沖縄県民の間の独特な感情というものを私はいやというほど知らされてまいりました。そうした住民の感情というものを考えましたとき、都道府県行政区画を越えて沖縄の法律の体系の中に奄美を取り込むということは、鹿児島県の中の一部だけに、沖振法がかかるということ以上に問題を生ずるのではないか、私は率直にそんな感じを持ってこれを拝聴しておったわけであります。  

橋本龍太郎

1980-01-31 第91回国会 衆議院 予算委員会 第2号

国鉄病院というのは国鉄王国時代につくったのだと思うのだが、だからどこでも、専売も持っているからうちの方もというようなこと、国鉄は、一番先に持ったのだから、おれが持っているのはあたりまえだと言うかもしれぬが、医師、看護婦五千人を集めて、一般の人は診てあげませんよ、国鉄従業員だけよと言っておるわけです。これが年間に何ぼ赤字が出るかというと、約二百億円の赤字が出る。

渡辺美智雄

1974-05-17 第72回国会 衆議院 外務委員会 第26号

と申しますのは、実はギリシャ共和国政府のあれによりますと、まあ政体は変わったけれども国家の同一性というものは同じなのだ、したがって、まさに共和国政府は、王国政府が結んだ協定という本のを承継して、そのままその権利義務関係を受け継いで実行していくものであるということと、さらにはその王国時代に結んだ、たまたまこの日本との航空協定のみならず、その他の外国と結んだ同じような状況にある条約がたくさんある。

伊達宗起

1974-05-17 第72回国会 衆議院 外務委員会 第26号

伊達政府委員 そうではございませんで、これは昨年の六月に革命がギリシャ王国で起こりまして共和制となった、それ以前に結ばれました協定でございますが、その後共和国政府との話し合いによりましてその王国時代に結ばれた協定というものをそのまま継承して、タイトルを改めることなく日本国政府との間で航空協定を結ぶことに異議ないという意思が明確となりましたので、このタイトルを改めることなくこの協定を結んだ次第でございます

伊達宗起

1970-12-11 第64回国会 衆議院 文教委員会 第2号

御案内のとおり、首里城正殿琉球王国時代の国政の政庁、まつりごとの庁といたしまして重要な儀式に使用されたものでございまして、その様式、規模におきまして沖繩の古建築中最大にしてかつ特徴的なものといたしまして、戦前は国宝保存法によって国宝の指定を受けまして、昭和六年に国の補助事業として解体修理を行なったわけでございます。

安達健二

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