1969-07-10 第61回国会 参議院 地方行政委員会 第24号
「一、厚生省調査に依る「集娼」は、戦前の公娼時代からの公娼地区と、同じく戦前の玉の井、鳩の町の如き準公娼地区即ち私娼であるが警察が密売淫としての手入れを行なわなかった地区に戦後復活したもののみを対象としているので、ほぼ、労働省調査に依る「特飲街中戦前からあるもの」に該当する。両者の数字をつき合わせると、厚生省調五万八千百八十八名、労働省調五万六千六百七十一名である。
「一、厚生省調査に依る「集娼」は、戦前の公娼時代からの公娼地区と、同じく戦前の玉の井、鳩の町の如き準公娼地区即ち私娼であるが警察が密売淫としての手入れを行なわなかった地区に戦後復活したもののみを対象としているので、ほぼ、労働省調査に依る「特飲街中戦前からあるもの」に該当する。両者の数字をつき合わせると、厚生省調五万八千百八十八名、労働省調五万六千六百七十一名である。
○説明員(井本台吉君) これは委員各位のとくと御承知と存ずるところでございますが、戦争前に公娼が認められております時代におきまして玉の井などに私娼窟があつたのであります。
恐らく過去の歴史を調べましても、池田君が仮に洲崎、亀戸、玉の井、新田、過去の経歴を眺めますと、四ヶ所も五ヶ所も転転といたして参つた。果してこのときに一つの中に生業が入つていたでありましようか。私は今日率直に申上げます。
をつかまえて、こんな金は要らない、三万円なんか貰つたつて闇の米三俵買えばなくなつてしまうのですから、まあそう言つてしようがないじやないかと言つて、はたの人もいろいろ言うし、支店長も平生懇意の間柄だし、私共もまあ我慢して、これも国家の御奉公である、日本が戰に負けたから止むを得ない、それでその始末につきまして、警視庁が非常に御心配願つて、そうして我々業者の行くところをきめてやると、一旦整備になつた場所が、玉の井
実は私のところは、せんの玉の井と申します、俗に、つまり新吉原が吉原、洲崎、玉の井、こういう工合。従来は玉の井に四百七十七軒ありました大体があすこに集まりまして、それが終戰後我々は西に、東に……。
かような集団地は鳩の町が一つ、玉の井から脱却して、やや向上した鳩の町ができて、これが見本を示したのであります。その見本が今移つて来つつあるので、これは特例である。そんなに沢山あろうとは私はまあ存じません。寡聞にして存じません。
一〇何%というような、そうしてこれによつて賄つていないとおつしやるけれども、一〇何%がこれによつて得られておるというところに、現在取締法をやつておるのと、それから実質的にはこういうものが、最近の傾向を見ましても、今までの特別に制限された吉原とか、玉の井とか、そういうものが拡大される、こういうものに関連したものじやないかと考えられますが、この池上の問題を発生させておるところの政治的な原因じやないか、こういうふうに
玉の井のこま切れ事件というのは絶対つわからないと言われておつたけれども、手の皮の指紋から犯人がわかつた。生産県は多く都市へ出しているので、結局マル通へ何卓出しておるかということを調べればすぐわかるが、中村君の聞かれた点、ある程度わかつたことは、おつしやつていただかないと……。