1977-05-26 第80回国会 参議院 大蔵委員会 第14号
最初の問題融資があった後、なお森本が架空名義をつくって、このように独断融資ができる地位になぜおれたのか、そこのところがどうしても解せないわけですよ。もうすでに問題児になっていた副長が、なおそういう権限を持っていた、そのポストにいた、い続けることができた、銀行がそこに置かざるを得なかった。そこのところがどうしても解せないのですが、これは警察庁、この点いかがですか。
最初の問題融資があった後、なお森本が架空名義をつくって、このように独断融資ができる地位になぜおれたのか、そこのところがどうしても解せないわけですよ。もうすでに問題児になっていた副長が、なおそういう権限を持っていた、そのポストにいた、い続けることができた、銀行がそこに置かざるを得なかった。そこのところがどうしても解せないのですが、これは警察庁、この点いかがですか。
銀行側、そしてその報告を受けて、その報告を当初はうのみにされている大蔵省、両方とも後からの六千万円というのは森本という貸付担当副長の独断融資、不正融資だが、初めの一億一千六百万円というのは、あくまでも正常融資の失敗だと、そういうふうに言われているのですね、ずっと読み返してみても。大蔵省はいまでもそういう御見解をお持ちですか。
ところが九月末に残高が二千二百二十万円とふくらみまして、月中三百七十万円ふくらんだわけでございますが、これは菅沼が支店長の決裁なしに行ないました独断融資でございまして、このころからまず手形貸し付けによる不正融資が始まったわけでございます。四十四年の二月からは、この手形貸し付けのほかに、買い入れ外国為替を仮装しての不正融資が行なわれるようになりまして、残高は毎月増大いたしてまいっております。
これは菅沼が支店長の決裁なしに行なった独断融資で、つまり今度の不正融資は四十二年の九月から始まったということでございます。このころから、まず手形貸し付けによる不正融資が始まっております。そうして、ただいま御指摘がございましたように、四十四年の二月からこの手形貸し付けのほかに買い入れ外国為替を仮装いたしましての不正融資が行なわれるようになりました。