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628件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2011-11-22 第179回国会 参議院 法務委員会 第3号

犬養健法相でしたかね、法務大臣検事総長指揮して逮捕を止めたと。それで、当日、大臣辞任したと。その一か月後でしたかね、吉田内閣もこれも一つの理由になって総辞職をしたという、こういう経過があるんですけれども。  やっぱり司法とですね、政治の介入というものは、この事件だけじゃなくてもっと大きな、我々は歴史で勉強したんですけれども、大津事件というのがございましたね。

丸山和也

2011-10-27 第179回国会 参議院 法務委員会 第2号

ところが、これが今まで発動されたのは昭和二十九年でしたかね、いわゆる造船疑獄事件、あのときの吉田内閣ですけれども、犬養健法相が、当時の佐藤栄作自由党幹事長、二千数百万円の賄賂を受け取ったという疑惑で逮捕寸前逮捕を阻止するという、指揮権発動によって逮捕を阻止したんですね。これは昭和二十九年だと思います。これはもうもちろん大事件になりまして、即日法務大臣は、たしか午後、辞任いたしました。

丸山和也

2007-04-12 第166回国会 参議院 厚生労働委員会 第10号

津田弥太郎君 昭和二十九年の予算委員会において答弁に立ちました犬養健法務大臣は、この方は後に造船疑獄の際に指揮権発動した方であります。彼が援護法に関してこのように述べております。この法律精神というのは、一人でも多く戦傷病者あるいは戦没者を夫に持つお気の毒な婦人の実生活を実際的に助けようという精神から出ておるんじゃないかと申されております。

津田弥太郎

1992-04-17 第123回国会 衆議院 法務委員会 第8号

本音の部分を語った点が今の御答弁の中にはないので、時間の関係もありますからちょっと指摘しておきますと、昭和二十八年、一九五三年五月二十八日の参議院法務委員会で、当時の犬養健大臣でありますが、こういうことがあるんです。「今の治安状況から申しますとこれは指紋を取らしてもらうことが一番安全なのであります。」

木島日出夫

1989-03-30 第114回国会 衆議院 予算委員会 第9号

その指揮権発動やったのが我が尊敬する犬養健先生でしたね。吉田内閣時代です。今外国へ行っている皆さんが毎日、日本の新聞見るのでありません、こういう外国の報道を見て、皆さん商売できなくなりますよ、こうすると。  したがって、私冒頭申し上げましたように、内も外も総理、きっちりしなければならぬ。

林保夫

1985-03-08 第102回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

一九五三年五月の国会では犬養健法務大臣が、「一番大きい問題は治安問題でありまして、治安状態が今よりもさらに悪化いたしますと、あるいは少し貿易関係で来ている人の感情を悪くしても、あえて指紋をとるという制度を採用しなければならない。」と答弁しております。また、一九五八年二月には、唐澤法務大臣が「指紋をとっておくだけの必要がある。日本治安関係から必要がある」と発言しております。

竹村泰子

1981-02-25 第94回国会 衆議院 法務委員会 第1号

犬養健、植原悦二郎松岡駒吉星島二郎北村徳太郎黒田寿男、末端に至って小林進というふうになってくるのでありますけれども、こういうようなそうそうたる名士が入って、そしてこれをひとつ撤廃しようという運動が始まっておる。  もう時間がありませんからなんでありまするけれども、それに対して、実に歴代の大蔵大臣が全部撤廃の方向で回答しているんだ。

小林進

1980-11-05 第93回国会 衆議院 法務委員会 第3号

当時の検察庁の最高検は佐藤藤佐検事総長岸本義広次長東京高検検事長花井忠東京地検馬場義続検事正と田中万一次席、山本清二郎特捜部長河井信太郎主任検事、このもとに行われた問題でございまして、当時の内閣総理大臣吉田茂法務大臣犬養健それから清原邦一が次官、井本台吉刑事局長、こういうときにでき上がりました造船疑獄の問題でございます。  

小林進

1975-12-05 第76回国会 衆議院 内閣委員会 第7号

受田委員 そこに犬養健さんの肖像がある。そのお嬢さんの犬養道子さんなどは、世人、女性の大使として適格者であると多くの人から指摘されておる。別に結婚した女性でなくても、単身の女性の人材が幾らでもある。そんな条件で制約されているという御答弁はまずい。どうですかね。いま与野党を通じて賛成という声が圧倒的なんです。

受田新吉

1970-03-19 第63回国会 衆議院 商工委員会 第8号

こいねがわくは第二の犬養さんにならないようにしてもらいたいということを先ほどちらっと申し上げたわけですが、第二の犬養健さんにならないようにしっかりしていただきたい。そこで、とりあえず暫定にしろ品目規制にしろ、どんなことがあってもやらない、こう受け取ってよろしゅうございますか。

加藤清二

1969-07-04 第61回国会 衆議院 外務委員会 第31号

すると、その晩ラジオを聞いておりますと、突然外務大臣がマニラに出かけて、犬養健法務大臣外務大臣兼任になったというラジオ放送がありました。私はがばっとはね起きて、天はわれに幸いを与えたもう。近衛内翻りときに、私は、愛知さしも御承知のように、内閣の嘱託をしておりまして、近衛さんの隣の部屋に、富田官房長官を助けて一緒に住んだ時代がありました。

帆足計

1965-02-02 第48回国会 衆議院 予算委員会 第3号

だが、当時の法務大臣犬養健君は、このため父君の名誉とみずからの政治的生命を失って、不遇のうちに万斛の恨みをのんでなくなったことは御承知のとおりであります。こうした先輩や同僚の犠牲の上にあなたの今日の地位が築かれたのであります。私は、日本の宰相として再出発にあたる公の席上で、これらの問題について反省のことばを聞かないのであります。

山花秀雄

1960-10-18 第36回国会 衆議院 本会議 第2号

河野密君 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、故本院議員正三位勲一等犬養健君に対し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。  私どもは、昨年来、犬養君が健康を害し御静養中と承り、御回復の一日もすみやかならんことを心から祈り上げていたのであります。しかるに、不幸にも御本復を見るに、至らなかったことは、まことに痛恨きわまりない次第であります。

河野密

1960-10-18 第36回国会 衆議院 本会議 第2号

午前十一時七分式を終わる      ————◇————— 昭和三十五年十月十八日(火曜日)     —————————————  議事日程 第二号   昭和三十五年十月十八日     午後一時開議  一 故議員淺沼稻次郎君に対し弔詞贈呈の件及び追悼演説  二 故議員犬養健君に対する追悼演説     ————————————— ○本日の会議に付した案件  議員淺沼稻次郎君逝去につき院議をもって弔詞を贈呈

会議録情報

1960-08-31 第35回国会 衆議院 法務委員会 第2号

同月二十八日  委員犬養健君が死去された。 七月二十六日  理事小島徹三君同月十九日委員辞任につき、そ  の補欠として高橋禎一君が、委員長の指名で理  事に選任された。     ————————————— 七月二十二日  一、裁判所の司法行政に関する件  二、法務行政及び検察行政に関する件  三、国内治安及び人権擁護に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。      ————◇—————

会議録情報

1960-07-19 第35回国会 衆議院 法務委員会 第1号

委員長 瀬戸山三男君    理事 鍛冶 良作君 理事 小島 徹三君    理事 小林かなえ君 理事 田中伊三次君    理事 福井 盛太君 理事 菊地養之輔君    理事 坂本 泰良君 理事 田中幾三郎君       綾部健太郎君    一萬田尚登君       犬養  健君    薄田 美朝君       世耕 弘一君    高橋 禎一君       竹山祐太郎君    中村 梅吉君       

会議録情報

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