2020-04-16 第201回国会 衆議院 本会議 第19号
政治的な圧力から検察を守れなかった森大臣は、指揮権発動した犬養健法務大臣と同様、辞任をもって責任をとることと、検察、ひいては司法の独立を守るために必要となる修正案への御賛同を求め、質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣武田良太君登壇〕
政治的な圧力から検察を守れなかった森大臣は、指揮権発動した犬養健法務大臣と同様、辞任をもって責任をとることと、検察、ひいては司法の独立を守るために必要となる修正案への御賛同を求め、質問を終わります。(拍手) 〔国務大臣武田良太君登壇〕
一九五四年に、当時、国会でこの法律の趣旨を説明したのが、当時の法務大臣の犬養健大臣であります。 配付資料の三を見ていただければと思うんですけれども、そのとき大臣はどう説明しているかといいますと、こう言っているんですね。
○国務大臣(谷垣禎一君) 今、紙はございませんが、犬養健法務大臣のときに指揮権の発動、当時の検事総長、佐藤総長とおっしゃったと思いますが、指揮をした例がございます。
犬養健法相でしたかね、法務大臣が検事総長を指揮して逮捕を止めたと。それで、当日、大臣は辞任したと。その一か月後でしたかね、吉田内閣もこれも一つの理由になって総辞職をしたという、こういう経過があるんですけれども。 やっぱり司法とですね、政治の介入というものは、この事件だけじゃなくてもっと大きな、我々は歴史で勉強したんですけれども、大津事件というのがございましたね。
ところが、これが今まで発動されたのは昭和二十九年でしたかね、いわゆる造船疑獄事件、あのときの吉田内閣ですけれども、犬養健法相が、当時の佐藤栄作自由党幹事長、二千数百万円の賄賂を受け取ったという疑惑で逮捕寸前に逮捕を阻止するという、指揮権発動によって逮捕を阻止したんですね。これは昭和二十九年だと思います。これはもうもちろん大事件になりまして、即日法務大臣は、たしか午後、辞任いたしました。
それで、当時の犬養健法務大臣、吉田茂の下に指揮権を発動してこれをストップさせた。それで、当時の検事総長であった、だれだったかな、佐藤藤佐さんか、この方が非常に捜査の妨害を受けたというような発言を国会でもされていますね。
○津田弥太郎君 昭和二十九年の予算委員会において答弁に立ちました犬養健法務大臣は、この方は後に造船疑獄の際に指揮権を発動した方であります。彼が援護法に関してこのように述べております。この法律の精神というのは、一人でも多く戦傷病者あるいは戦没者を夫に持つお気の毒な婦人の実生活を実際的に助けようという精神から出ておるんじゃないかと申されております。
本音の部分を語った点が今の御答弁の中にはないので、時間の関係もありますからちょっと指摘しておきますと、昭和二十八年、一九五三年五月二十八日の参議院法務委員会で、当時の犬養健大臣でありますが、こういうことがあるんです。「今の治安状況から申しますとこれは指紋を取らしてもらうことが一番安全なのであります。」
その指揮権発動やったのが我が尊敬する犬養健先生でしたね。吉田内閣時代です。今外国へ行っている皆さんが毎日、日本の新聞見るのでありません、こういう外国の報道を見て、皆さん商売できなくなりますよ、こうすると。 したがって、私冒頭申し上げましたように、内も外も総理、きっちりしなければならぬ。
一九五三年五月の国会では犬養健法務大臣が、「一番大きい問題は治安問題でありまして、治安状態が今よりもさらに悪化いたしますと、あるいは少し貿易関係で来ている人の感情を悪くしても、あえて指紋をとるという制度を採用しなければならない。」と答弁しております。また、一九五八年二月には、唐澤法務大臣が「指紋をとっておくだけの必要がある。日本の治安の関係から必要がある」と発言しております。
犬養健、植原悦二郎、松岡駒吉、星島二郎、北村徳太郎、黒田寿男、末端に至って小林進というふうになってくるのでありますけれども、こういうようなそうそうたる名士が入って、そしてこれをひとつ撤廃しようという運動が始まっておる。 もう時間がありませんからなんでありまするけれども、それに対して、実に歴代の大蔵大臣が全部撤廃の方向で回答しているんだ。
当時の検察庁の最高検は佐藤藤佐検事総長、岸本義広次長、東京高検検事長が花井忠、東京地検が馬場義続検事正と田中万一次席、山本清二郎特捜部長、河井信太郎主任検事、このもとに行われた問題でございまして、当時の内閣総理大臣は吉田茂、法務大臣が犬養健、それから清原邦一が次官、井本台吉が刑事局長、こういうときにでき上がりました造船疑獄の問題でございます。
○受田委員 そこに犬養健さんの肖像がある。そのお嬢さんの犬養道子さんなどは、世人、女性の大使として適格者であると多くの人から指摘されておる。別に結婚した女性でなくても、単身の女性の人材が幾らでもある。そんな条件で制約されているという御答弁はまずい。どうですかね。いま与野党を通じて賛成という声が圧倒的なんです。
○加藤(清)委員 私が犬養健さんのことを申し上げましたら、犬養木堂を想定したとおっしゃる。余裕しゃくしゃくでございます。ぜひひとつ、犬養は犬養でも、子供さんの犬養にならぬように、おとうさんの犬養さんになっていただきたい。あなたはそれになる資格を十分持っておるお方だからでございます。
こいねがわくは第二の犬養さんにならないようにしてもらいたいということを先ほどちらっと申し上げたわけですが、第二の犬養健さんにならないようにしっかりしていただきたい。そこで、とりあえず暫定にしろ品目規制にしろ、どんなことがあってもやらない、こう受け取ってよろしゅうございますか。
すると、その晩ラジオを聞いておりますと、突然外務大臣がマニラに出かけて、犬養健法務大臣が外務大臣兼任になったというラジオ放送がありました。私はがばっとはね起きて、天はわれに幸いを与えたもう。近衛内翻りときに、私は、愛知さしも御承知のように、内閣の嘱託をしておりまして、近衛さんの隣の部屋に、富田官房長官を助けて一緒に住んだ時代がありました。
だが、当時の法務大臣犬養健君は、このため父君の名誉とみずからの政治的生命を失って、不遇のうちに万斛の恨みをのんでなくなったことは御承知のとおりであります。こうした先輩や同僚の犠牲の上にあなたの今日の地位が築かれたのであります。私は、日本の宰相として再出発にあたる公の席上で、これらの問題について反省のことばを聞かないのであります。
○河野密君 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、故本院議員正三位勲一等犬養健君に対し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 私どもは、昨年来、犬養君が健康を害し御静養中と承り、御回復の一日もすみやかならんことを心から祈り上げていたのであります。しかるに、不幸にも御本復を見るに、至らなかったことは、まことに痛恨きわまりない次第であります。
午前十一時七分式を終わる ————◇————— 昭和三十五年十月十八日(火曜日) ————————————— 議事日程 第二号 昭和三十五年十月十八日 午後一時開議 一 故議員淺沼稻次郎君に対し弔詞贈呈の件及び追悼演説 二 故議員犬養健君に対する追悼演説 ————————————— ○本日の会議に付した案件 議員淺沼稻次郎君逝去につき院議をもって弔詞を贈呈
議員犬養健君は、去る八月二十八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜に至りにたえません。同君に対する弔詞は、議長において贈呈いたしました。 この際、弔意を表するため、河野密君から発言を求められております。これを許します。河野密君。 〔河野密君登壇]
○福永(健)委員長代理 次に、故犬養健君に対する追悼演説の件についてでありますが、去る八月二十八日、さきに永年在職議員として院議をもって表彰された岡山県第二区選出の犬養健君が逝去されました。ここにつつしんで哀悼の意を表します。
同月二十八日 委員犬養健君が死去された。 七月二十六日 理事小島徹三君同月十九日委員辞任につき、そ の補欠として高橋禎一君が、委員長の指名で理 事に選任された。 ————————————— 七月二十二日 一、裁判所の司法行政に関する件 二、法務行政及び検察行政に関する件 三、国内治安及び人権擁護に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。 ————◇—————
委員長 瀬戸山三男君 理事 鍛冶 良作君 理事 小島 徹三君 理事 小林かなえ君 理事 田中伊三次君 理事 福井 盛太君 理事 菊地養之輔君 理事 坂本 泰良君 理事 田中幾三郎君 綾部健太郎君 一萬田尚登君 犬養 健君 薄田 美朝君 世耕 弘一君 高橋 禎一君 竹山祐太郎君 中村 梅吉君