1962-05-04 第40回国会 参議院 外務委員会 第22号
でありまするからして、タイ国内で日本が使ったバーツに対して、日本銀行に設けられたタイの特別円勘定の帳じりというものは、むろんこれは日本のタイに対する負債であって、日本としてはこれを返さなければならぬ、返済しなければならぬはずのものであったのが、戦後日本の貨幣の暴落等によりまして、その支払いが非常に困難になったというようなわけで、タイ側との協定がつかなかった。
でありまするからして、タイ国内で日本が使ったバーツに対して、日本銀行に設けられたタイの特別円勘定の帳じりというものは、むろんこれは日本のタイに対する負債であって、日本としてはこれを返さなければならぬ、返済しなければならぬはずのものであったのが、戦後日本の貨幣の暴落等によりまして、その支払いが非常に困難になったというようなわけで、タイ側との協定がつかなかった。
その内容は、戦時中のタイとの特別円勘定の残額九十六億円を八年間の間に無償供与するということであります。しかし、これは従来の方針に全く反しています。というのは、日本とタイは昭和三十年に日タイ特別円処理協定を結び、そこでは日本からの資金支出は投資及び無償供与の形で、信用供与の形でタイ国側に貸し付けることに取りきめられております。
したがって、これら文書に基づいて設定された特別円勘定自体も廃棄されるとの見解も有力であります。いずれにせよ、敗戦国間の請求権は相互に放棄するのが通例であります。三十年協定交渉にあたってのわがほうの考え方は、これであったはずであります。
とのような事情からいたしましても、日本が軍費としてタイ国内で費消したバーツ貨に対して日本銀行に設けられましたタイの特別円勘定の残高というものは、これは当然日本政府において弁済する義務があったことを、われわれとして認めなければなりません。しかるに、戦後日本貨の暴落のために、その帳じりの返済が困難となり、ようやく昭和三十年の協定ができたものの、実施を見るに至らずして、デッドロックに陥りました。
ここで特別円勘定残高の性格、並びに昭和三十年の協定締結に至る交渉経緯を簡単に御説明申し上げれば、戦争中多数の日本軍がタイに駐留しておりましたが、これに必要とされる軍費は昭和十七年七月以降は、日本銀行に設けられた特別円勘定を通じて調達されておりました。
戦争中日本の債務でありました特別円勘定残高処一理の問題につきましては、昭和三十年に締結された特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定によって解決を見たのでありますが、その協定第二条に規定された九十六億円の経済協力に関し、協定発効後タイ側がこれを無償供与であると主張し、その後六年にわたってこの問題について両国間に幾多の折衝が行なわれたのでありますが、どうしても履行することができず、本件が日タイ
ですから、貸すというのを与えたのですから、与えるのならば、それを債務支払いとして払うんだったら、その債務の基礎になるものがなければならないにもかかわらず、その基礎になるべきものは、日銀の特別円勘定十五億円の残高、金塊引き渡し分の〇・五トン並びに四千四百万円の未実行分、これは五十四億円で済んでいるのですから、従って、九十六億円に債務の根拠はないということになる。 それでは、その次に進めます。
その証拠に、特別円勘定十五億円、金の未引渡し分〇・五トン、金の買却に関する分四千四百万円、これはそれぞれ時価に換算した。そして、十五億円とその差額、四千四百万円との差額を加えて五十四億にする場合もあり、四十七億にする場合もあるが、ともかくもこれで特別円関係は全部済んだことになるのではございませんか。この点はいかがですか。
○岡田(春)委員 四十七億円、五十四億円という数字がそれぞれ出ておりますが、この四十七億、五十四億というものには、三十年協定の第三条の(a)(b)(c)−(1)(2)(3)ですか、この三つの、言葉をかえて言うならば、特別円勘定残高十五億円何がし、その十五億円から差し引くべきもの四千四百万円、金の売却未実行分、そして金塊未引渡し〇・五トン、この三つの分が全部四十七億、五十四億に含まれるものとして計算されておるのではありませんか
それは特別円勘定で一本の軍費調達はこうやっていきましょうという約束をいたしまして、そうして日本が十五億円の借りをしているわけです。戦争が済みまして、二十年の九月十一日にあの約束はやめましたというときに、十五億借りている分までこれが全部ゼロになる、これは私は信義の原則に反すると思う。
○宮川政府委員 特別円勘定はございました。
本年一月末特別円勘定処理協定が調印されましたあと、タイのタナット外相も、資金は開発資材の多量買付に使用されると述べられておりますが、これは欧米品を駆逐して日本品の進出をはかるまたとない機会であると思われ、また、資本財の輸出後も、部品買付その他ある程度の輸出を長期的に保証されておると考えて差しつかえないと思います。
○岡田(春)委員 それでは、この点を伺いますが、商業勘定としての貸借関係ができたけれども、その口座それ自体は政府間協定に基づくものですから、特別円勘定という勘定は消滅するわけですね。そうでしょう。
ただ、今のは、特別円勘定という決済方式の条約でございましょう。特別円勘定というものは決済方法であって、権利の得喪の問題じゃないでございましょう。確認の方法の問題でございましょう。だから、この勘定の仕方の方法をやめようというときに、今まで発生した債権債務が、勘定の方法をやめるからといってそれがすぐなくなるという解釈は出てこない。
○小田部政府委員 軍費と特別円勘定と関係のない金の売却が一八・一三、あと端数はございますが、一八・一三トンございます。それから、特別円協定ができます前に軍費信用設定協定というものがございまして、それで売りましたのが四・八九トンの金がございます。それから、その次に、特別円勘定設定後金を売却しましたものが二一・八〇トンございます。それを全部合計しますと、約四四・八三トンになるのでございます。
そういう軍人の非常に多いタイにおける軍費をまかなうために、日・タイ間に特別円勘定ができまして、つけによっての決済、すなわち、日銀の帳じりに特別円の勘定じりを置きまして、そして、タイの軍費を現地においてバーツでまかなって、日本からこれを送っておる、こういう形を特別円協定においてとっておったのであります。
その第一は、戦時中の特別円勘定設定の根拠と相なりました日・タイ同盟条約並びにこれに関連する一連の両国間協定は終戦直後終止符を打たれたのでありまして、従って、特別円勘定残高を日本が返済をしなければならないという法的な根拠はないではないかという意見が出ておるようでございまして、これは一般国民の受けから言うとなるほどそうではないかというような感じも受け取れるように思うのでございます。
したがって、この以前の問題についてはこの効力はないわけでございまするが、ところで、日・タイ特別円勘定が設定されましてから、わがほうの日本銀行の帳簿に残高としまして、十五億二百五万三千六十五円五十五銭という残高が記帳されてあるわけでございます。これについて、これをどう評価するか、金約款というのは、もちろんこれはないわけでございまするが、これをどう評価するかという基準が実はないわけでございます。
このカッコの一がいわゆる十五億円、特別円勘定の残高、これから四千四百万円を引いたものに相当するわけでございます。カッコの二は、その四千四百万円になる、要するに金売却協定未実行の分、これは三つ、中に細目の区分けがございます。その三つの売却契約に相当する分でございます。第三が〇・五トンの金、タイ名儀の金が日銀にありましたものをタイに渡すというその義務、それに関連するものが第三項でございます。
○政府委員(中川融君) これは売却契約に基づきまして、金を向こうに売る際には、その代価として十五億円の中から特別円勘定を差し引くわけでございます。この三つの分は十五億円の中に含まれるわけでございます。
それならば、第三条の第一項は、「昭和十七年六月十八日に東京で署名された特別円決済に関する日本銀行とタイ大蔵省との間の協定及び昭和十八年三月十九日にバンコックで署名されたタイ国庫特別円勘定に関する日本銀行とタイ大蔵者及びタイ銀行との間の協定に基いて日本銀行に設けられたタイ銀行特別円勘定に関する請求権」、これだけが有効であって、この第三条の第二項や策三項は、今の中川条約局長の答弁からすれば、これは無効なんだ
従って、昭和三十年当時に日タイ間で交渉が行なわれました際には、もとになる戦争中のいわゆる特別円勘定というものを設置いたしました協定は廃棄されておるということをこちらは主張したのでありまして、廃棄しておるから、その中の条項、たとえばいわゆる金約款というものはタイ側は主張し得ない、こういうことを主張したのでございます。
こういうものを背景として特別円勘定という特殊なものが設置された、それがタイ国における日本の軍事費の支払いにまで活用せられた、こういう歴史的な事実を考慮しつつまた、戦後におきましては、タイ国は平和条約の発効後いち早く対日国交の再開に踏み切っておる、これらの点を考慮しつつこの特別円問題のことを考えなければならぬと思うのでございまして、すなわち、特別円問題というものは、これは戦時中に日本が特別の便宜を提供
戦時中、日本の債務であった特別円勘定残高処理の問題につきましては、昭和三十年七月に締結された、特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定によって解決されたのでありますが、その第二条に規定されている九十六億円の経済協力に関し、これが償還を前提とする投資及びクレジットの形で提供するものであることは当然でありますが、タイ側はこれを無償供与であると主張し、わがほうの種々解決の努力にもかかわらず、これが
戦時中、日本の債務であった特別円勘定残高処理の問題につきましては、昭和三十年七月に締結された特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定によって解決されたのでありますが、その第二条に規定されている九十六億円の経済協力に関し、これが償還を前提とする投資及びクレジットの形で供与するものであることは当然でありますが、タイ側はこれを無償供与であると主張し、わが方の種々解決の努力にもかかわらず、これが実施
戦時中、日本の債務であった特別円勘定残高処理の問題につきましては、昭和三十年七月に締結された「特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定」によって解決されたのでありますが、その第二条に規定されている九十六億円の経済協力に関し、協定締結後タイ側はこれを無償供与であると主張してきました。
戦時中、日本の債務であった特別円勘定残高処理の問題につきましては、昭和三十年七月に締結された特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定によって解決されたのでありますが、その第二条に規定されている九十六億円の経済協力に関し、協定締結後、タイ側はこれを無償供与であると主張してきました。
この問題にりきましては、昭和二十七年日タイ間の国交が再開した後、両国政府間におきまして、特別円勘定のための交渉が行なわれました結果、五十四億円をスターリング・ポンドで五年間に分割して支払うということと、経済協力のための措置として、九十六億円を限度額とする投資及びクレジットの形式で日本の資本財及び役務をタイに供与する。こういう二点の内容を持ちまする協定が昭和三十年七月に締結せられたわけでございます。
○国務大臣(岸信介君) その点は、日本とフランスとの特別円勘定として、対外的の関係ではなしに、国内的の関係においての問題であると思います。従ってこれは大蔵当局からお答えすることが適当だと思いますが、私自身は今申しましたように、国際的の関係と国内的の関係だから、おのずから別の取り扱いが行なわれても差しつかえない、かように思います。
○曾祢益君 どうもわからないのですがね、八月二十五日以後の特別円勘定では、起こった日本の債務は、ピアストルを使ったために起こった特別円等の債務はこれはあるわけですね、それは戦争債務とは、賠償とは全然別の問題である、開戦後も。こういう考えですか。
この差は、交通通信等の不順と申しますか、不便な関係から、帳簿上記帳がおくれたり何かする関係もございますというふうに申し上げましたが、調べましたところ、そのおもな原因は、八月十四日に特別円勘定に入金しております二億五千万円の入金が、やはり通信連絡の不便な関係から、八月の二十四日に、こちらの方としては記帳になって、約十日間おくれているというようなことでございまして、その他若干利息だとか、あるいはフランス
この上海送金は、フランス側の費用として、通常インドシナ銀行からの指図で、大体三カ月ごとに、特別円勘定を払い出しまして、そしてまあ、シナにおける正金銀行の支店に送金されていたので、二十年六月の三十日付で、インドシナ銀行を通じまして、四億六千八百万円ちょっとのものの送金の申し込みがございました。ところがこの件は、二十年八月二十四日に、正金銀行は、それで上海支店あてに、電報送金をしたのでございます。
では最初に、この間政府委員の方から、終戦後一年、約一年たって、正金銀行の特別円勘定が移動しておる点につきまして御説明不十分で、調査して報告するということでございましたが、まずその点御報告していただきたいと思います。
○政府委員(西原直廉君) ただいまの、愛知官房長官が終戦の当時いくらいくらとお話ございましたが、だいたいこの特別円勘定の残高は、昭和二十年八月の十五日の帳簿といたしましては十億九千六百六十四万一千七百八十六円でございました。
しかし、日本に関する限りにおいては、正金に預けられたですね、預金勘定として記載された特別円勘定は、政府に正金が貸し上げた。ピアストル勘定と見合っている、そういうふうに理解してよろしいかということを聞いているんです、実質的に。
○政府委員(西原直廉君) 先ほど申し上げましたように、正金銀行のサイゴン支店が、インドシナ銀行からピアストル現金を受領しましたときは、これを一たん借り受け勘定で処理いたしまして、そうして正金銀行の東京支店にピアストルを受け取ったということを連絡し、で、これで東京支店に特別円勘定を貸記いたしまして、そうして政府に対する貸し上げ金の措置をとるわけであります。