2010-10-21 第176回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
それから、民主党は日本国教育基本法案をつくるときに、物質至上主義の文明から物以外の心や情報や文化、こうしたことを大事にする、そうした知識文明をつくっていく、こうした方向を目指すということは国会の法案提出理由のところでも申し上げさせていただきまして、そのような歴史的な状況に入っているというふうに思っております。
それから、民主党は日本国教育基本法案をつくるときに、物質至上主義の文明から物以外の心や情報や文化、こうしたことを大事にする、そうした知識文明をつくっていく、こうした方向を目指すということは国会の法案提出理由のところでも申し上げさせていただきまして、そのような歴史的な状況に入っているというふうに思っております。
そこでは、正に富国強兵、GDP至上主義、経済・物質至上主義でございました。そこでの生きる力ということは経済的に富むということでありまして、経済的に富むということはどういうことかというと、大量生産、大量流通、大量消費社会の中で正に富を最大化していく能力ということが生きる力であったわけであります。
社会のモラルの低下が目を覆うばかりのこの現代の状況の中で多くの課題が山積をしており、今こそこれまでの物質至上主義の文明から、その限界を認識して、未来を展望した新たな文明の創造を担う人材を育てることこそが教育の使命であると考えております。 こうした理念のもとで、今の日本の教育を具体的に改善していくための大きな第一歩として、この日本国教育基本法を国会に提出させていただきました。
私の見るところ、私たち人類は長年信仰していた物質至上主義を見直さないまま社会制度のことを考えても行き先は同じような気がします。改革を行う前に、私たちは私たちの価値を見詰め直す必要があります。その作業は改革としてよりもむしろ革命に近いものなのかもしれません。革命といっても、それは暴力による革命ではありません。それは私たち一人一人の心の中に始まる静かな革命です。
これまでの物質至上主義社会、環境破壊型経済から、今こそ、人々が人間らしく幸福に生きられる質の高い社会へ、そして循環型経済への大転換ができるときであると考えます。 古来より、冬は必ず春となると言います。是非とも今年こそ希望への大転換の年にしてまいりたいと思います。
しかし、その一方で物質主義、物質至上主義といいますか、あるいはバブルの風潮が蔓延いたしまして私たちは大切な精神的なものを失ってしまった、このように思うわけでございます。 青少年の凶悪犯罪、教育の荒廃、家庭の崩壊、企業や政治、行政の不祥事の続発と、多くの問題に直面しております。
すなわち、自然環境との共生に基づく人類益、地球益を基調とする新世紀、言いかえれば、物、物質至上の世紀から生命を軸にした世紀への兆候でありましょう。そのために、人類の英知を結集したラストチャンスの総力戦が求められているところでもあります。 この意味でも、京都会議の開催は人類の新ステージに向けて重要なシグナルを発する絶好の機会でありました。
そういう個々の要因というものは明らかにしておりますけれども、さらに、その背後といいますか根底に、近代科学技術文明の発展によりまして、物質至上といいますか物質中心主義となりまして、人間の心というものがおろそかになっておるということ、それから実証することのできるものとか数量化の可能なものを偏重して、いわゆる浅い意味の学問、学科というのでしょうか、数量化可能なものを偏重して、さらに崇高なものがあるというようなことへの
私は、戦後の物質至上の風潮が国民の魂をむしばみ、教育の偏向や欠陥が次代を担う一部若人の心に誤った幻想を抱かせ、過激な反社会活動に陶酔せしめるに至り、ついにはかけがえのない人生を破滅させつつあるのを見るに忍びないのであります。 最高の教育機関であるべき大学、とりわけ国立大学において、一部とはいえ、過激派の温床とも言うべき状況が見られることを私は国民に訴え、強くその是正を求めるものであります。
ただいま言われますように、物質至上に先行して精神面がおくれたんじゃないか、こういうような反省はもちろん必要だと思います。しばしば物心両面ということをいわれますが、私は、その物心両面に調和がとれまして、そこで初めてりっぱな文化あるいは国力、これが育成されるものだと思います。このことは最も大事なことだと思います。
現在の個人主義、物質至上主義は、社会の腐敗、政治の腐敗を来たしておるというような考え方をいたしておりました。ところがいわゆる安保剛争をめぐるデモ等の集団行動を見るに及びまして、これを左翼的革命思想の現われであるとして激しく憂え、これらの運動に対処して国民を覚醒せしのる方法としては、微力な右翼の勢力の現状からしてはテロによるしか方法かない。
自由奔放、快楽主義、むしろ放らつと申すべき世相に、若き世代の人々が知らず知らず流されつつあり、これを迎合するマスコミ、商業主義、物質至上主義が町にはんらんしている状態を見るとき、まことに国家累卵の危きを嘆ぜざるを得ないのであります。(拍手)自由はもとよりわれわれのこいねがうところであります。しかし、これはあくまでも他人の自由をも尊重する、独尊にして互尊の規制をはずれてはならぬのであります。