1989-12-13 第116回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号
それから十五回安保協では、奥間レストセンターの部分返還の部分、恩納通信所、キャンプ桑江、普天間飛行場、牧港補給所、いずれも移設条件なしで返還ということで合意されております。
それから十五回安保協では、奥間レストセンターの部分返還の部分、恩納通信所、キャンプ桑江、普天間飛行場、牧港補給所、いずれも移設条件なしで返還ということで合意されております。
ただ、牧港補給所というところを中心にどうしても陸揚げ港が一つは要るだろう、まあ規模はぐっと小さくなるでしょう、それは私もわかるんです。
しかも、その岸壁の取り扱い数量は、御承知のようにベトナム戦以後急速に収縮して、約三万トンぐらいの取り扱い量に落ちておりますし、全面返還を無条件でしてもらいたいと思うのですけれども、やはり牧港補給所等に対する物資の常時陸揚げ等が、アメリカとしては必要なことも否定できません。
それと、基本的には、それらの主として牧港補給所に行くものでありますから、その近郊に代替バースを一つつくる必要があるのではないかという気もいたしますが、いずれにしても、非常に二十万トンぐらいさばいておりましたころに比べて荷さばき量の減っておる、しかもバースはそのままであるということを考えますと、市長あたりとも相談をいたしておりますが、外務省等とも相談をしながら、できれば少き海洋博用の資材だけでも現在の
させていただきますが、一部オープンになっておりますP3の移転の約束が遅延している問題についての促進、これは同時に海洋博に備えての沖縄の緊急かつ当然の要求としてターミナルビルの新しい建設ということについて相互に密接な関連を持ちますから、これを推進すること、並びに那覇市の都市計画以前の姿のままで県庁所在地の市街を構成しております中で、牧港住宅街というて一般に呼ばれております上之屋地区一帯の広大な緑に囲まれた米軍の牧港補給所