1961-10-17 第39回国会 参議院 農林水産委員会 第7号
非常に御意見もございますが、牛馬商の資格がなければ絶対に売り買いできないということもいかぬと思います。と申しますことは、私のうちで今酪農をやって、登録の上等の牛が十八頭おります。そこで、付近の人は、あそこの子が生まれたらと考えております。いい子が生まれて売ろうとしても、牛馬商を通さなければならぬ、それは損なんです。
非常に御意見もございますが、牛馬商の資格がなければ絶対に売り買いできないということもいかぬと思います。と申しますことは、私のうちで今酪農をやって、登録の上等の牛が十八頭おります。そこで、付近の人は、あそこの子が生まれたらと考えております。いい子が生まれて売ろうとしても、牛馬商を通さなければならぬ、それは損なんです。
元来わが国の畜産奨励は、明治以来、需要の拡大をはからずして、頭数ばかりふやす奨励をする結果、わずか増産いたしますと、製品安になって、再び牛を手放さざるを得ない状態の繰り返しであつて、奨励されたときは高い牛を買い、手放すときは二束三文で売るということで、結局、農民の保護よりも牛馬商の利益をはかる状態であったのであります。
これは単なる牛馬商と同じなんです。そういう場合は公団が引き取って、それにかわる優良なものを与えるとか、そういうことは良心的にやるということに最初から、きめておかないと、あとで非常に問題が出てくると思いますが、そういうものを条文の中に入れ必要があるのではないですかどうでか。
特にこれを取り扱うのは、主として牛馬商ですから、なるだけ煩瑣な手続を省いて合法的に移動できて、それが処分できればいいという考え方の上に主としてその人たちは立っているわけです。だからこの法律の改正によってそれが悪用されるおそれが非常にあると思う。しかも家畜伝染病の中には家畜間における伝染よりも、人間に伝染する場合もあるのですね。
ところが一方において先刻厚生大臣が申されましたように、農村において動物蛋白を多量にとりたいと思いましても、自分たちの飼育した牛であるとかあるいは豚であるとかいうような大動物になりますと、これを牛馬商の手にかけて屠場へ送り、さらに食肉業者の手を通じて農村に入つて来る。そのために農村としては非常に食べたいものでも食べられないというのが、現実の姿であることは御存じの通りであろうと思う。
農家に飼料の配給を円滑にし、而もそれが安く、この法案の提案の理由のごとく価格が高騰されることなくして安く配給されるということにならなければならんと思うのでありますが、その場合に中間の団体、或いは中間の業者で従来非常な競争のあつた場合における弊害等は、この際是非とも法案通過後には公正なる措置を講じて頂きたいことを希望いたすと共に、私は、例えば現在の有畜農家の奨励で政府が長期資金を出しておる場合に中間の牛馬商
また佐藤という牛馬商の家で、福田某が放火の事実を語つたこともうわさをされておるのであります。この事件は單なる失火などではなくして、放火の疑いが十分にあるのでありますが、何ゆえかこの事件はいまだに迷宮入りになつておるのであります。このほかに同町の羽黒坪にも数軒の家が燒けまして、しかも原因不明の怪火事件として、これまた検挙せられておらないのであります。 次に笹沼清一の肥料やみ取引事件であります。
それがその行爲がやつてもよいということがはつきりしないと、牛馬商なんか地方に存在して、個人と個人との賣買はばくろうの手を通さなければ買えやせん。
牛馬商の問題、これ又市場に参加いたします仲買者としての牛馬商の地位は、法律がなくなつても、その機能には影響がないことであります。
現在牛馬の取引には、牛馬商が参加しておつて、いろいろのことをやつておるのでありますが、將來において、この牛馬商の取引改善に対する参加はどういうふうな方法で参加した方が最も適当であるとお考えであるか、参加の方法についてお聴きしたいと思うのであります。
びますものが千九百六十五町二反、三割以上五割に達するものが三千三百五十六町一反、三割以下のものが四千七十五町六反、これくらいの被害の率に大体なつているのでありまして、実に農民は昨年の水害で非常に惨害を受けたところが、今回の雹害に遭つたというような二重の苦しみをいたしておりますのが、大変がつかりして一切を放棄した、大動物はぽつぽつ賣かけているというような実態もありましたので、縣当局とも連絡を取りまして、不正牛馬商
しかもその間にばくろうあるいは無免許の牛馬商が跳梁跋扈して、これを正式にかけたときには税金で皆取られてしまうじやないか。それよりかわれわれの手でうまく処分しようというようなことで、やられておるような実情であります。
今日農村でゆとりあるものは、果樹蔬菜等の特殊農家や、牛馬商だけであります。過去においては農村では多少の米麥の横流しはありました。しかしながら、今囘の三千五十五萬石の供出を押しつけられますと、もはや横流しの餘裕どころではなしに、ほとんど各地において飯米を食いこむのであります。しかも資材の方は依然としてやみで入れなければならぬのであります。