1968-05-22 第58回国会 衆議院 運輸委員会 第29号
こういったときに川崎の駅におけるタクシーの利用状況、これは御承知かと思いますけれども、呼び込み屋、牛太郎ともいっておりますが、呼び込み屋が競輪場、競馬場に行くお客さんを、五人一組くらいでタクシーに乗せて送り出しています。タクシーのほうは競輪場まで一人百円、五人で五百円の収入になるわけです。タクシーの運転手のほうは牛太郎に百円やるわけです。メーターが百四十円くらい。
こういったときに川崎の駅におけるタクシーの利用状況、これは御承知かと思いますけれども、呼び込み屋、牛太郎ともいっておりますが、呼び込み屋が競輪場、競馬場に行くお客さんを、五人一組くらいでタクシーに乗せて送り出しています。タクシーのほうは競輪場まで一人百円、五人で五百円の収入になるわけです。タクシーの運転手のほうは牛太郎に百円やるわけです。メーターが百四十円くらい。
(笑声)牛太郎だ馬太郎だという名前をつけられたために一生頭が上らんという人もあるのですから。江田三郎のごときは最もいい名前だ。(笑声) 委員長、時間ですから今日はこれで……。
次に第五条以下第九条に至る売春周旋者、いわゆる牛太郎、ポン引きの類、また人身売買を取り持つ人間、いわゆる女衒、それから売春の場所を供与するいわゆる楼主、亡八、昔は轡とも申しました。あるいはそれに資本を提供する資本家、高利貸、そういうものに最高十年の懲役、最高五十万円の罰金を科することができるというこの法案の業者厳罰主義には私も全面的に賛成であります。ただし、刑は少し重過ぎると思います。
それから特殊婦人と米兵との関係、又日本人同志の同一行動として、こういうものを嫌悪する気持が四一・一%、特殊婦人の雇主に対する嫌悪八・二%、牛太郎、ポン引これに対する嫌悪が一・八%その他は三二・九%。
昭和七年四月十九日生れ(外延べ六十名)その他仮名でございますが、犯罪の概要は、被疑者は青少年のころより妓夫——いわゆる牛太郎、妓夫紹介屋、従業員等の経歴を有し、終戦後は婦女子の戦後のもぐり周旋業をしていたものであるが、昭和二十五年かねて博徒仲間で知り合いの住所不定井垣米蔵、当五十年から茨城県多賀郡高萩町料理屋小梅こと、柵谷喜一方従業婦海老原みさを当十八年——これはもちろん仮名でありますが、これの住みかえ
金をもうけようと思えばたとえば下品な話だが、女郎屋の牛太郎に行つたつてもつと金がもうかる。しかしそういう商賣はいやだ。やはりまじめな商賣につきたいというので、鉄道職員を選んで来た。私もその一人です。ところが私は昭和九年先ほど申し上げた通り鉄道に入つて来て、まず最初に聞いた言葉は何という言葉か。それは職場のすみで聞いたのですが、鉄道こじきという言葉です。