1949-04-15 第5回国会 参議院 本会議 第14号
知つてか知らずか、或いは知つても殊更にこれに目を履い、目前の易きに頼らんとしてか、(「そうだ」と呼ぶ者あり)食糧自給度向上に対する何ら見るべき施策もなく、その無定見に近き有樣は、心ある者のひとしく眞に憂えるところであります(拍手) 一方農家の諸君は、戰時中より引続いた供出制度、而も改善の余地極めて多い供出制度と、過重な且つ不公正な納税制度の下に、更に又いわゆるシエーレの重圧の下に苦しみながら、父祖傳來
知つてか知らずか、或いは知つても殊更にこれに目を履い、目前の易きに頼らんとしてか、(「そうだ」と呼ぶ者あり)食糧自給度向上に対する何ら見るべき施策もなく、その無定見に近き有樣は、心ある者のひとしく眞に憂えるところであります(拍手) 一方農家の諸君は、戰時中より引続いた供出制度、而も改善の余地極めて多い供出制度と、過重な且つ不公正な納税制度の下に、更に又いわゆるシエーレの重圧の下に苦しみながら、父祖傳來
かようなことと、もう一つは金融すでに行き詰つてこのままではとにかく船も賣らなければ行けない、父祖傳來の営業権も賣らなければいかぬという際に、やはり全國的な一つの有力なる政治力をもつたこの團体によつて、金融の方途をはかつて救済せしめる。
そのために、父祖傳來の農業を廃業いたしまして、続々と他に轉出するような哀れな農家が、今現出しつつあるのであります。ある農家におきましては、その課された税を拂うことさえできずして、かわいい一人娘を賣つて、その納税をしたという、悲惨なる話もあるのであります。
干拓ができて見れば自分の父祖傳來の仕事というものは全くできない、又仮に多少できても非常に遠距離を行かなければならん、そのため一生涯受けるところの不便、打撃というものは非常に大きなものであるというようなことについての計算は毛頭考えていないというようなわけで、事もなげに應するのであります。又役所から來て何とかかんとかうまいことを言われる。
父祖傳來三百年も四百年間も営々苦心を続けてやつてきましたところの美田が、一夜にして砂礫に押流されてしまつているというような状態である。それでありますから、農林省当局のやられます開墾事業計画というものも、科学的に組織立つた御研究の上でやつてもらわなければならない。
この關係の三部落民が多年父祖傳來の開墾をして耕作してまいりましたところの合計二百七十町歩餘の田地、田畑を犠牲にしてダムをつくることを、ときの内務省仙台土木出張所長の金森博士が草案をされました。當時その目的は名取川の下流に位しております仙台市の郊外長町という附近一帯に陸海軍の重工業の約二十いくつかの工場があつたのであります。
商工省として、一面私的独占禁止法案が成立しておる今日だから必要はないというものの、誠に大できな法案だと考えておりまするが、かような際にこの法案を出された精神からいたしまして、かような問題をもう少し実情に副うように柔かくできんものかどうかというようなことを考えているのでありまして、この法案と直接関係はありませんけれども、精神からいたしましてこの小賣店の血眼になつて闘争している姿、或いは販賣店のどうでも父祖傳來
そこでそういう田畑を失いまして、しかもそれが父祖傳來の田畑、何百年間營々苦心してきたものが、今度の水害のため流出してしまつたので、部落を捨てて他に移住しようという計畫の者もあつたわけです。それに對してどういう手を打たれるか。