2007-06-14 第166回国会 参議院 文教科学委員会 第19号
現在、中高等学校の校長職にありますが、学校を真に父母、国民の期待にこたえるものにするのに必要なことは、当該学校の本来の教育関係当事者たちに学校をつくり変える、ともにつくり上げる自由を一つ一つの学校の教職員と父母や住民たちに与えることにあると考えております。 教職員を序列的な階層構造の中に追いやり、上からの指揮命令系統に組み込んでも、本来の教育効果は期待すべくもありません。
現在、中高等学校の校長職にありますが、学校を真に父母、国民の期待にこたえるものにするのに必要なことは、当該学校の本来の教育関係当事者たちに学校をつくり変える、ともにつくり上げる自由を一つ一つの学校の教職員と父母や住民たちに与えることにあると考えております。 教職員を序列的な階層構造の中に追いやり、上からの指揮命令系統に組み込んでも、本来の教育効果は期待すべくもありません。
教員養成大学の自主的な改革は、教育に対する広い、父母、国民の皆さんの強い期待にこたえる形で進められなければなりません。私は、その点で幾つかの問題を具体的にお聞きしたい。 まず、いわゆる新課程の問題です、新課程。 文部省が、一九八六年のことですが、国立の教員養成大学・学部の今後の整備に関する調査研究会議を立ち上げられた。
最後に、既に広がり深まる深刻な子供と教育の危機、教職員の実態、父母、国民の願いこそが、私は二十一世紀の教育改革のあるべき課題と方向を示していると考えます。拙速な論議でこの国の将来に大きな禍根を残すようなことがあってはなりません。憲法、教育基本法を初め、子どもの権利条約、国際人権規約などの国際合意事項に立って、教育三法案の慎重にも慎重な審議を重ねて求めて、私の意見陳述とさせていただきます。
私が議論したいのは何かというと、教職員、父母、国民が今一番恐れているのは、指導が不適切という、極めて広範で抽象的でつかみがたい、製造工場のある労働者が一日、部品を五十つくるか五十五つくるかは計量可能です。
現在、多くの父母、国民が望んでいるのは、人間味にあふれ、教師や父母とともに真剣に切磋琢磨する、子供の教育に情熱を傾ける、そのような教師です。 教師が自主的に研修を進める機会、条件を豊かにし、学校において教師が同僚とともに授業その他の教育活動を互いに批評し、支援し合う取り組みが進んでいます。教師と父母との共同による学校づくりの努力が、各地で注目されています。
アメリカの父母、国民の希望にこたえて、いい教育をつくりたい。いい教育をつくるかぎは何かといって、彼はこう言いました。グッド・ティーチャーズ・アンド・スモール・クラシーズ、すばらしい先生たちと小さな学級だ。そして、明年のうちにアメリカの全土で小学校一年、二年、三学年は十八人学級にする、こういうふうに約束をして、それに伴って生まれるべき教職員の雇用増を含めて彼は国民に約束しました。
教師が父母、国民の負託にこたえて直接子供に全責任を負って行うとされているものであるというように思います。だからこそ、教師の教育上の自主的権限や教育の自主性が重視されているのでありまして、教師に対する強制や命令は、教育に対する不当な支配として許されるものではないということは明らかではないでしょうか。 日の丸・君が代の学校への押しつけが教育に何をもたらしているのでしょうか。
○吉田(正)委員 この問題につきましては、過去長い間の論争といいますか、中高一貫、高校全入制度を実現すべきだという、これが父母、国民の強い要求であるわけですね。今現在でも多くの父母の皆さんからは、もう実質高校は準義務化をしている。したがって、選択の幅とか多様化という言葉が今使われましたけれども、今学校の実態はそんな状況ではない。
そして最後に、一般歳出の伸び率は三・九%あるのにこれを下回る三・四%しか伸びないというこのことをもってしても、本年度の予算、一口で申し上げますと、重い教育費、世界的にも最も高い教育費、この負担解消を求める父母、国民の期待に背を向けた予算であるとしか言いようがないのではないか、こう思っています。
中曽根元首相の教育臨調路線に基づく臨教審答申、それの具体化としての教課審、そして学習指導要領の改訂と社会科解体に象徴されます戦後教育の総決算が急ピッチで進められ、教育現場はもとより、父母、国民に日本の教育の将来に対する不安が広がっております。
このように、父母、国民の琴線に触れる答申となり得なかったにもかかわらず、これが推進のための機関が今なぜ必要なのか、まことに理解に苦しむものであります。この点について、まず、総理の見解を求めるものであります。 次に、具体的内容について総理にお尋ねをいたします。 その第一は、臨時教育改革推進会議の所掌事務と位置づけについてであります。
教員の資質能力の向上こそが父母、国民が現在の学校教育に求めてやまないものであります。教員としての資質能力は、養成、採用、現職研修の各段階を通じて形成されていくものであることから、このような国民の教育に対する負託にこたえるためには、それぞれの段階を通じて、教員としての資質能力の向上を図るための方策を総合的に講ずる必要があるのであります。
現に、すべての教師は教育専門家として学歴、年齢、経験などにかかわりなく子供に対等、平等の責任を負い、父母、国民の負託にこたえて教育に従事し、その重要性や複雑さに軽重はございません。こうした教育の権利性や教職の本質に照らし、教師の資格は単一の免許状で表示されることが最適であり、また絶対的要請と言えます。教育の道理に反した制度は教育を殺す凶器ともなり得るということを銘記していただきたいと思います。
ただし、教育公務員の場合には、教育基本法十条の趣旨に従って国民に直接に奉仕をする立場でございますので、議会制ルートを通して上から決められた法律に忠実に従うということではなくて、教育活動を通して直接父母、国民の要求にこたえ、子供本位の教育をしていくということが教育公務員の基本的な立場になっているということでございますね。
さて、教育関係者や教職員団体、幾つかあるわけでありますが、教育現場等からは、今日提案をされております免許状を三種類に種別化する、あるいは階層化するということにつきまして、そういうやり方が対等、平等の本質に反しているんじゃないか、そして教職員の協力関係を悪化させるんじゃないか、あるいはまた、子供たちや父母、国民の教師に対する見方を混乱をさせて、教職員と子供、父母との信頼関係や連帯を大きく損なわせてしまうんじゃないかという
あすを担う子供たちよ、健やかに、そして心豊かに育てというのは、すべての父母、国民の願いでもあります。そのような父母、国民の願いにこたえ、子供たちの教育に責任を負う教師の資質能力を向上させることは、教育行政の最も重要な課題であると言えましょう。
子供を愛し、情熱にあふれるとともに、高い専門知識と指導能力を備えた教師の育成、養成というものが今父母、国民の強い願いだというふうに思います。そこで、竹下総理はこれからのあるべき教師像についてどのような考え方を持っておられるのか、率直にお伺いをしたいというふうに思います。
父母、国民もその解決を願っております。また、日の丸、君が代強制など国家主義の教育も浸透してきております。それらは一口に言いますと、人間の尊厳のための教育を提起した憲法、教育基本法の精神の形骸化のあらわれではございませんでしょうか。教育改革のあり方は、いま一度戦後教育の初心を確かめ、その人類普遍的教育理念を実現して国際化に対応していくことではないでしょうか。
初任者研修についての問題点を述べてまいりましたけれども、これだけの財源を問題の多い初任者研修に充てるよりも、今学校現場で最も悩み、苦しんでいるいじめや登校拒否など、いわゆる教育荒廃の克服のために日夜懸命の努力を続けている教職員や父母の皆さんの期待にこたえるためにも、四十人学級の即時完結、三十五人学級の実現、大規模校の解消など、教育条件整備と改善のために財源を投入していただくことが、教職員はもとより父母、国民
そして、昨年八月七日に最終答申を提出して解散するまでの三年間、臨教審は教育荒廃の克服を期待する父母、国民の期待にこたえることはなかったのであります。 答申の内容を見ると、エリートづくりに重点を置いた六年制中等学校、教職員の多くが反対する官製研修と身分を拘束して義務づける初任者研修、臨調行革路線の徹底化を図る教育行財政制度改悪など、教育荒廃と国民の負担を強める内容が中心となっております。
今こそ初任者研修制度の導入をやめ、偏差値教育の是正、入試地獄の解消、学歴社会の改革、学級規模の縮小など行き届いた教育の実現、父母負担の軽減等々の施策を推進することこそ、父母、国民の期待する真の教育改革の道であることを強調し、反対討論を終わります。(拍手)
教育の政治的支配のみを考え、教育の荒廃を克服し、行き届いた教育を願う父母、国民の期待を裏切るものにほかならないのであります。 しかも、六十四年四月から国立学校の授業料等が引き上げられるとともに、私学助成の抑制により私立学校の授業料等が大幅に引き上げられる結果となっていることは、高等教育に対する国の責任放棄であり、父母にその負担を押しつけるものであります。