2020-06-08 第201回国会 衆議院 本会議 第31号
北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんの御父君がお亡くなりになりました。心から御冥福をお祈り申し上げます。 拉致問題の解決は、我が国外交上の最大の課題であります。解決に向け、政府、与野党で全力を挙げて取り組まねばなりません。 それでは、質問に入りたいと思います。 国民の皆様の努力と協力によって、全国で緊急事態宣言が解除され、感染拡大防止と社会経済活動の両立という新たなステージに入りました。
北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんの御父君がお亡くなりになりました。心から御冥福をお祈り申し上げます。 拉致問題の解決は、我が国外交上の最大の課題であります。解決に向け、政府、与野党で全力を挙げて取り組まねばなりません。 それでは、質問に入りたいと思います。 国民の皆様の努力と協力によって、全国で緊急事態宣言が解除され、感染拡大防止と社会経済活動の両立という新たなステージに入りました。
先生は、地元の中学校から関西大学第一高等学校を経て、父君、そして現寝屋川市長の兄君と同じ関西大学に進学されました。学生時代から地理や歴史に興味を持たれ、夏、冬問わず、スポーツを通じて自然との触れ合いを大切にしていらしたと伺っております。
○原田国務大臣 まず、西岡秀子委員におかれましては、同じ九州の出身だという親近感も覚えておりますし、また、御父君の西岡武夫先生には御生前本当にお世話になったことを、まずもって心から感謝申し上げたいと思います。 ただいま御指摘いただきました海洋プラスチックごみ問題、それこそ本当に大きな国際的な課題となっております。
御父君金五先生は、皆さん御承知のとおり、北海道知事を三期十二年にわたり務められ、北海道発展の礎を築かれた、まことに人格識見のすぐれた大先輩でありました。 君は、こうした御両親の影響と慈愛のもと、少年時代を過ごされ、小学校四年生のときに、既に身長百六十センチ、体重六十キロ、相撲大会で優勝するほどの健康優良児に育たれました。
○国務大臣(塩崎恭久君) 薬剤師でもあられた御父君とは参議院で御一緒させていただいて、共に学ばせていただきました。懐かしい思い出がたくさんあります。
秘密保全等のプロジェクトチームでありますけれども、そのPTの座長をお務めになられました町村信孝先生を私は大変尊敬しておりますと同時に、町村先生のお父様、御父君は、先生方よく御存じのとおり、町村金五先生とおっしゃって、旧内務省にお勤めになられ、北海道の知事もお務めになられ、そして第五十三代警視総監もお務めになられたということであります。
この男系によって継承するということは、父君をたどっていきますと一本のラインでつながるという意味であると思います。 これは、我が国においては二千六百年以上続いてきた、諸外国には見られない、圧倒的に美しい歴史であり、伝統であると思います。この歴史とか伝統というものは、簡単につくることができないものであります。皇位はやはり男系によって継承されるということを憲法の中に明記するべきであると考えます。
総理の御父君もそうだったでしょう。事に臨んでは危険を顧みず、身をもって職務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる、この誓いをした人たちが自衛官ですよ。だけれども、そのことについて必要な名誉が与えられていない。 アメリカ合衆国では、一番の勲章は大統領に与えられるのではない、統参議長に与える。なぜならば、命をかけて国家の独立を守る兵士がいて初めて大統領職が務まるからです。
柿澤先生も、御父君も私どもの先輩の外務大臣もお務めになられた方でありますので、ぜひ、柿澤先生にふさわしいようなお話の仕方をされることをここでお願いしたいと思います。
○国務大臣(藤井裕久君) 林議員の御質問にお答えしますが、まあ十六年前、あなたのお父君の後を引き継いだことを思い出しますわ。えにしも感じていますね。 そこでですね、そこで、財政技術的な話が多うございますので、簡単に、かつエッセンスだけ申し上げます。 第一は、補正予算を切った、その切ったのをそのまんまにするのはけしからぬ。そのとおりです。
これはちょうど外務大臣の御尊父、御父君である中曽根康弘元総理と若き時代の私でございまして、当時僕は十六歳だったと思います。スイスで写真を撮りまして、ベネチア・サミットの帰り道に、ちょうど私自身が一九八六年から八九年まで三年間フランスの方で高校寮生活をしておりまして、近所に日本の総理が来られるということで表敬訪問をさせていただいたときの写真でございました。
しかし、総理の揮毫だけではなく、御父君赳夫先生の色紙もございまして、察するに、長い間福田党として福田総理をお支えになった、そういう民宿だったと思うんです。大変親切にしていただきましたけれども、今ごろきっと喜んでおられるだろうと思うんですね。 それと同時に、神流町、昔は中里村と言っていたと思いますが、大変な山村僻地でございます。
○冬柴国務大臣 平成十六年の政府・与党申し合わせ、その原動力は委員の御父君でございました。心から敬意を表しているところでございます。 整備新幹線は、国土の骨格を形成する高速交通機関であり、地域間の移動時間を大幅に短縮させ、地域開発や経済活性化等に大きな効果をもたらす重要なプロジェクトと考えております。
父君安倍晋太郎外相が創設された五百億円の日米友好基金を上回る規模の日中友好基金を、中国からのODA償還金や民間企業からの協力金などを原資として設立し、中国人留学生に対する奨学金の大幅拡充、研究者の交流や文化交流などを積極的に行い、現在のお互いの国の実像を相互に認識して、未来志向かつ共存同栄の関係をつくっていくべきだと考えますが、総理の御所見をお聞かせください。
安倍先生の御父君は、創造的外交を唱道され、ロシア外交にはうんと力を入れておられたということは、総理も、身近にいられてよく御承知のところであります。 ロシアは、日本の隣国であり、六カ国協議の一つでもございます。北朝鮮にも強い影響力を持っている国であります。中国、韓国と同様に、非常に重要な二国間関係を有する国だと言っていいと思います。また加えて、大きな領土問題がございます。
尾身大臣もそうですが、先生の御父君晋太郎先生のじかの御薫陶を受けた一人として、大変うれしいですし、また感慨無量でございます。泉下の晋太郎先生もさぞかしお喜びと思いますが、国内外とも多事多難、難局のさなか、大変革期でございます。たぐいまれなリーダーシップを発揮されまして、我が国の将来にお父様の志を継いで頑張っていただきますように、まずもってお願い申し上げる次第でございます。
私は、数十年前、大臣の父君の中川一郎先生の薫陶を受けました。こういう形で議論をさせてもらうというのは、大変光栄であると同時に、何か面映ゆい感じがしてございます。きょうは一般質疑でございますので、二つの観点からちょっと議論をさせていただきたいと思います。
また、実は総理のお父君が当時、そのそばの万世という基地を造るについて、一緒になって取り組まれたと。そんなことから、あなたのお父さんも、もうこれだけは本当に何とも言えない思いだと、二度とこのようなことがあってはならないという思いで時々語られていることもお聞きしました。 総理、正直言って、お国のために命を懸けて戦うという少年の気持ちについて、今どんなお気持ちでございますか。
父君は、農民と労働者のために半世紀もの間政治活動に身を投じられ、日本社会党副委員長を務められた、人格識見のすぐれた方でありました。 先生は、こうした父君の影響と母君の御慈愛を受けて少年時代を過ごされ、長じて、宮城県立仙台第二高等学校を経て、中央大学法学部に進まれました。 昭和三十三年に大学を卒業された先生は、その後、司法試験に見事合格され、仙台で弁護士事務所を開設されました。
そうこうしておりますうちに、いろいろと、シリアという国が中東においてアラブ諸国の中でどのような立場にあるのか、大変興味を持ちまして、そして、特に今、バッシャール・アサド大統領は、二〇〇〇年に父君をお亡くしになられて、その後を継がれて二代目の大統領でございましょうか、それで、去年たしか国連の安保理の理事に就任されて、アラブ諸国の中からはたったお一人かと思います。