1999-11-10 第146回国会 衆議院 商工委員会 第3号
そういう現実の中で中小企業者が経営をしているわけでありますから、言ってみれば、ここに対してどうやって燭光、明かりをともしてあげるか、あるいはそういう期待を持たせてあげるかということが、中小企業国会と言うならば、本当はその任務をこの国会が負っていなければならないはずだと私は思います。
そういう現実の中で中小企業者が経営をしているわけでありますから、言ってみれば、ここに対してどうやって燭光、明かりをともしてあげるか、あるいはそういう期待を持たせてあげるかということが、中小企業国会と言うならば、本当はその任務をこの国会が負っていなければならないはずだと私は思います。
住宅関連その他幾つか明るい指標が出てきているものもある、そういう明るい兆しが出てきているものがより確かな燭光となっていくように、今後景気対策を着実に進めていかなければならない、こういうことを申し上げてきたところでございます。
○沓脱タケ子君 これは時間があるとゆっくり聞いてもらうといいんですが、昭和十七年一月二十四日、当時の七十九帝国議会の衆議院の議事録で、賀屋国務大臣がこの税の創設について発言をしておられますが、そのときには十六燭光の電灯四つ、ガスの七輪二つ、これは三円以上であってもそういう御家庭は免税にすると明確に言っておられます。
もうなるべく暗く暗くして、取り締まりの皆さん方が電気の明かりが何燭光でなければならぬと言ったって、それの半分もないようだから、それはびしびしやらにゃいかぬよ。警察庁いいですか。それを含みとして、この問題については、なお問題が残っておるということをひとつ付言しておきたいのであります。
「これまでの私学助成の推移をみると、その助成は年々増加し、昭和五十一年から五十三年までは毎年二〇%台の伸びを示し、」云々と書いてありまして、その「私学の財政危機に一抹の燭光を見出したものの、近年になると国の財政事情からではあるが、補助金の増加傾向は鈍化し、五十四年度から五十五年度では一〇%台に、五十六年度は八・八%に低下し、五十七年度政府予算案では前年度と同額という、全く信じられない状態となった。」
夜は夜で、このごろはあれは何百燭光というのでしょう。たいへん明るい灯をつけて、まるで銀座の灯のように見えるところで灯をつけて、集魚灯をつけて、そして集めてつったり、網でとったりする。そういうことをいたしまするためにもうたいして網に乗らぬわけですね。ですから、違反漁業みたいなものが盛んに起こる。
御承知のように、施設ではおおむね午後九時までは一応電灯は明るくいたしておりますが、就寝時になりますと五燭光くらいの暗さに電気を切りかえているのでございます。そういう点も原因としてあったのではないかと思います。
たとえば、網の問題にしましても、漁船のたきます燭光にいたしましても、それぞれ政令あるいは県の条例等をもって規制はいたしておりますけれども、これらの点は沖でやる仕事でありまする関係から、なかなか監督その他も不十分でありまして、十分徹底をいたしておりません。そういうために、どうしても沿岸に対する沖合いからの何と申しますか、侵入といいますか。資源の保存上いろいろと隘路、問題があることは事実であります。
それは車を持っている者の当然の義務だといえばそれまででございますけれども、自動車時代に、自動車が十分な能率を発揮して走ることが、私どもの経済生活あるいは日本の経済成長、能率的な生活上必要なことでございますので、私は希望といたしましては横断歩道に明るい燭光の電気をつけてほしいということと、横断歩道のマークが白いものが消えてしまっている、雨に打たれて消えているという例がかなりございますので、そういう点で
一カンデラは約一燭光なのであります。港の入り口にあるのが百燭光もない、九十カンデラ程度のこういうふうなもので、はたして大ふぶきのとき、または暴風雨のときにこの見分けがつくと思いますか。保安庁はそのままにしておきまして、いまだかつて明治この方ガス灯なのであります。電灯じゃないのです。こういうふうな状態にしておいて、いつ事故が発生するかわからない。ましてそれが九十カンデラにすぎないガス灯である。
むしろ犯罪を起こさないようなたてまえをとろうとするならば、適当な数の街路灯、しかも適当な燭光の街路灯を、この辺で自治省あたりであるいは警察当局と御相談をなさって、いままでのようなたとえば町内会の負担にするとか、あるいは自治会の負担にするというようなことでなくて——自治会、町内会がないと結局どうにもならぬと思います。一番いい例は、日比谷公園の中に入ってごらんなさい。
これによりますと、さらに大体一千基を緊急に増設する、それ以外に既存の老朽施設あるいは機器等につきましてこれを改良し、燭光を増大するという措置をとっていくということで進めておるわけでありますので、昭和三十九年度におきましては航路標識整備費として約十二億六千万の予算を計上いたしまして、三十九年度の実施計画を現在行ないつつある、こういう状況でございます。
ですから、私は何燭光かわかりませんが、少なくともあらゆる政策を樹立する共通の最低限の基盤として、この制度はひとつ確立をすべきではないか、かように考えます。
そういうろうそくの灯がゆらいでおるような沿岸漁業の実情の中で、いろいろな沿岸漁業等振興法に基づく諸施策をやらなければなりませんが、この漁業災害補償法は、そういう状態の中で百燭光とは言わぬけれども、十五燭光か二十燭光くらいのやはりあかりをつける、そういう重要な役割りを果たすものではないか。
○政府委員(安藤覺君) いろいろございましょうが、たとえて一つ取り上げて申しますならば、現在の時代の脚光を浴びているいんしん産業に所属し、従事せられる人々は、明らかにそれが三百燭の燭光のもとではないかもしれませんけれども、百燭か百五十燭か知りませんけれども、一応明るい線におられると思います。
能率漁業でありますから、こまかくなりますが、一つ例をあげますと、下請漁業と申しますが、電気の五千燭光、六千燭光の灯をもって海の中を照らして、魚を集めておいて一ぺんにとるのですから、一網打尽というのはこれをさしていると私は思うのであります。能率漁業でありますから、消費者にとっては非常にいいかもしれない。
今理論的に一燭の照度が一メートル行ったところのものだということでは、非常に問題だし、これが今度取締りの対象になって、非常にややこしい問題が将来起きてくるのではないかと思うのですが、それに対して、たとえば営業を許可する場合に、係官が行って、そのうちの照度はこの程度のものだ、これは何燭光で、これだけあればこれはいいんだというようなところまでおやりになる考え方なのか。
○柏村政府委員 十ルクスということを基準にいたしておりますが、一ルクスというのは、一燭光の光源から一メートル離れたところで受ける照度、これが一ルクスで、その十倍が十ルクスということになるわけであります。これは大体そういうことで基準がきまるわけでありますが、一々それを調べるかどうかということは、やはり営業者の自省に待つ。
○政府委員(原文兵衞君) これははっきりした照度のはかり方で申しますと、一メートル離れたところにおける一燭光の明るさ、この一メートル離れたところの照度が一ルクスというのでありますが、ごく大ざっぱに、一番わかりやすく申し上げますと、映画館の映写をしておって、映写が終って次の映写に移る間の幕合いの休憩時間の明るさが、あれが大体十ルクス、大体各映画館を通じて十ルクス、こういうことになっております。
だからそういう基準をきめて、何メートルの道路には大体何メートル置きに何燭光の街灯があるべきであるということがきまって、そしてその分については電力料金はただだとか安くするとか、あるいは電気料金をただにするとか、そういうことにすべきだと思う。
これはどうか一つ郵政省の幹部の方々は腹を据えて、政党人に蒙を開いてやる、天下に蒙を開いてやる、それからマス・コミュニケーションの時代であるけれども、そういう俗論を排して、百万燭光の光を照らして、真にわれわれの進んでいくべきところに標準を立ててもらいたい。そうしてわれわれは忠実に政治家としての任務をここに果したいということを念願するものであります。
○海野三朗君 ところでこの電気ということになりますというと、これはあなたの方からは、今計量法から外れるかもしれないのでありますが、この燭光といっておりますのは、ほとんどその燭光を出しておりませんね。たとえば十燭光とか、百ワットということで、百ワット来ていない、こういう方面は非常にルーズなように私は思うのですが、そういう点についてはどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。