1952-05-07 第13回国会 衆議院 建設委員会 第28号
罹災面積は四十万坪、燒失家屋は五千二百戸、罹災人員は二万四千人と算せられておりますが、このうち六千名が当時なお小学校や寺院等に収容されて、不安な生活を送つている状態でありました。鳥取県は、御承知のごとく昭和十八年の大震災によつて、壊滅的な打撃をこうむつてから九年目、ようやく復興の途上において、今日再びかかる大火にあつたので、その惨状は言語に絶するのであります。
罹災面積は四十万坪、燒失家屋は五千二百戸、罹災人員は二万四千人と算せられておりますが、このうち六千名が当時なお小学校や寺院等に収容されて、不安な生活を送つている状態でありました。鳥取県は、御承知のごとく昭和十八年の大震災によつて、壊滅的な打撃をこうむつてから九年目、ようやく復興の途上において、今日再びかかる大火にあつたので、その惨状は言語に絶するのであります。
質問といたしましては、何を標準として罹災地を指定するやとの質問に対しまして、政府よりは、從前より燒失家屋約一千戸の場合で、縣市当局より同法適用の要請がある場合において適用しておるとの答弁がございました。 かくいたしまして、委員会は四月十四日討論を省略して採決いたしました結果、全会一致をもちまして政府原案通り可決いたした次第であります。 右御報告申し上げます。(拍手)
今日戰災その他による燒失家屋は、およそ四百万戸ということを聞いている。また戰災地における住宅問題に端を発した家庭的ないろいろなトラブルでありますとか、わずか四疊半の室に数人の家族がごつちやに住むことによつて、そこから生れて來る非常な惡影響を考えますときに、実に慄然たるものを覚えるのであります。