1958-12-19 第31回国会 衆議院 文教委員会 第2号
お話のございました伊豆の地方でございますが、罹災者が逃げておった学校が流れて、大きな事件になったということも一時新聞に報道されましたが、その事実は実はございませんで、その学校はすでに老朽改築をするために取りこわしをしておったのを、誤まって流されたというふうに新聞が報道をいたしたので、これは修善寺熊坂小学校のことでございます。
お話のございました伊豆の地方でございますが、罹災者が逃げておった学校が流れて、大きな事件になったということも一時新聞に報道されましたが、その事実は実はございませんで、その学校はすでに老朽改築をするために取りこわしをしておったのを、誤まって流されたというふうに新聞が報道をいたしたので、これは修善寺熊坂小学校のことでございます。
なお修善寺の熊坂小学校は一時流失をしたというふうに伝えられましたけれども、実はその少し前に校舎の移転を行いました関係で、そのあとに残った礎石が流失した残りであるというふうに見誤まられたものでありまして、熊坂小学校は流失はいたしておりませんけれども、しかし約ニメートル以上の床上浸水のために非常に泥をかぶりまして、床上にも床下にも泥が入りまして、その清掃に非常に努力をしておるというふうに聞いております。
それから、同じく修善寺町の熊坂部落にある熊坂小学校、これは一時完全に流失したというふうに新聞等で伝えられたのでございますが、これは移築をすでにいたしました跡地が流失の跡地というふうに見られた関係でございまして、校舎は流失を免れております。ただ、新校舎の方に非常に大きく浸水をいたしまして、校庭はもちろんでございますが、床上、床下とも非常に泥が入っておるというような状況でございます。
○説明員(小林行雄君) ただいまお話のうちにもございましたように、熊坂小学校では小使さん一家がなくなっているというような状況で、まことに私どもといたしましてもお気の毒に存じております。こういう方につきましては、できるだけ公務災害的な考えで、扶助料等につきましてはできるだけ高い率が適用されるように努力をしたいと考えております。