1962-08-30 第41回国会 衆議院 商工委員会 第6号
それは、この話は二年ほど前か、国際貿易促進協会の山本熊一君、それから日ソ東欧貿易会の北村徳太郎君、この二人のソビエトの貿易関係の団体がありますので、この方からソビエトへいろいろ話をして、二つの団でだれかミッションを作ろうじゃないかということを話をしていらっしゃった。それで、二人の団でいろいろ財界じゅうをお当たりになっておったらしいのだが、その中で私どもにも話があった。
それは、この話は二年ほど前か、国際貿易促進協会の山本熊一君、それから日ソ東欧貿易会の北村徳太郎君、この二人のソビエトの貿易関係の団体がありますので、この方からソビエトへいろいろ話をして、二つの団でだれかミッションを作ろうじゃないかということを話をしていらっしゃった。それで、二人の団でいろいろ財界じゅうをお当たりになっておったらしいのだが、その中で私どもにも話があった。
で、当初は、ただいまお話しのように高碕、北村両君のシベリア調査団というものが一つ、また山本熊一君のモスクワ視察団という別なものと二つあるようでございます。それで二つあるんだがということで、まあ二つあったってそれもけっこうだろうが、やはり時期が同じであったりすると、ソ連側の気持もあるだろう、よく相談なすったらどうですということを申したのです。
また、最近帰られた山木熊一さん一行に加わった人の話も、私は一昨日直接に聞いたり、また、その使節団と周恩来あるいは廖承志等の方々の会談の、これは速記というわけでございましたが、もらっていろいろ研究しておるのでございます。
それから最近山本熊一氏がかなり大勢の経済界の人たちを連れて行ったわけです。これなどは全然そういうことに関知しなかった人が行ったということでは新しいできごとだと思います。なお、だいぶ前になりますが、高碕達之助氏が技術者関係の方を連れて行った。その人たちが見たところ、あるいはその人たちのアドバイスしたところ、こういうことについては非常に高く評価されておると聞いております。
通商産業事務官 (石炭局長) 村田 恒君 通商産業事務官 (鉱山保安局 長) 小岩井康朔君 参 考 人 (日中輸出入組 合専務理事) 高見 重義君 参 考 人 (国際貿易促進 協会会長) 山本 熊一君
○長谷川委員長 次に国際貿易促進協会会長山本熊一君。
桐生輸出織物協同組合理事長の金子友三郎君、全国繊維産業労働組合同盟福井県支部書記局長の中島優治君、日本綿スフ織物工業連合会会長の藤原楠之助君、遠州織物工業協同組合理事の寺田忠治君、三州織物工業協同組合理事長の稾(おおえ)貞治君、日本綿糸布輸出組合理事長の鈴木重光君、以上八君を参考人として出席願うこととし、 次に日中貿易に関する件について、来たる七月二日に、日本輸出入組合専務理事の高見重義君、国際貿易促進協会長の山本熊一君
それでその翌年に山本熊一君が行き、その後いろいろ交渉がありまして、一昨年はやっと四万台の注文をとれるようになった。それで見返り物資の関係で向うの方でもだんだん利口になって参りまして、見返り物資のむずかしいことを言うために、とうとう四万台のうち五千台しかとれなかった。
国際貿易協会も村田さんの留守を引き受け、山本熊一さんも中国への返事を急いでおられるのです。村田さんは、向うに行かれて、この問題の返事が来ないので、今お困りになっておる状況です。どうかそういうことで委員長において御処理を願いたい。 それから、時間がございませんし、中崎さんからもちょっと質問がございますから、ココムの方は一体一カ月に何回ぐらい開くのか。
私が今日特にそう感じましたのは事情がありまして、元外務次官で、また太平洋戦争の盛んなりし昭和十八年、あの東条大将が東南アジア地域を視察に参つたときの首席隨員でもあつた山本熊一氏が、当時の体験を書いたのを読んで、大いに感じさせられているやさきだからなのであります。
そこでお尋ねいたしたいのは、たとえば山本熊一さんとか、高良きんとか、西園寺君とか、かく言う私なども政府のお許しなくしてソ連にも中国にも旅行して参つたのですが、そういうここをしたので当局が感情を害されて、かりに私が今度はパリに参りますときにも私用旅券をよこさない、ほかの人には同じ条件でよこしておつてもよこさないというおそれがないかということを確かめておきましたが、法治国である以上そういうことはしないというお
山本熊一さんが大分熱心に交渉して返してもらいました。しかし民間外交は御承知のように限界があることであつて、政府がやるべきことはやると同時に、局長の言われたようなことをわれわれに対して言うだけではなく、上海にどんどん行つて交渉なさればよい。
それから山本熊一という外務次官をやつておられた方とか、それから読売の嬉野という特派員、これがモスクワから報道をよこしております。この嬉野特派員の報道なり、山本熊一氏の談話なりを通じてみましても、この二人は共産主義者でもなければ、共産主義の同調者でもないことはまず信じていいと思うのでありますが、こういう人がモスクワの生活が非管によくなつた、そしてそこには西欧的な水準に達したゆたかな生活がある。
そのほか山本熊一さんが自転車の関係で香港からお入りになり、松本治一郎さんの場合もそうでありまして、松本治一郎さんはタイ、ビルマ、香港を旅券でもつてああいうふうに旅行をされておる。そのほか巴商事の桜井英雄氏、そのほかその一行四名くらいの方が一緒に去年行つております。それから鈴木一雄という人、これは宝商会だと思いますが、この人は現にまだ北京に行つております。
落合留五郎大尉、沢田行雄大尉、加藤純一少尉、佐々木照政大尉、小林三郎、以下階級不明、斎藤尚幸、四條壽雄、有田智義、牧本充、管林次男、永田頴、山田恒雄、釜谷熊一、渡辺傳三郎、鈴木五郎、長岡政治、浜崎清之助、白石忠幸、斎藤三之助、その他将校收容所以外に残つておつた人達、少尉馬場義雄、久我儼雄大尉、石井十吉少佐、柳田惣吉軍医大尉、木島喜久男軍医、松木成美少尉、草野庸三准尉、中林仁良少尉、金谷保少尉、上堀見習士
○青木委員長 次に第四、魚價引上等に關する陳情書、佐賀縣水産會副會長原口熊一君提出、これは文書表第一三三號に記載してございます。その要旨は、まず現行鮮魚介價格は他の物價に比し著しく低廉であつて、生産隘路の眞因をなしているから、現在の價格を漁業採算のとれるまで引上げること、及び漁業資材の適正適量配給を即時實施することを陳情しておるものであります。
一 魚の統制撤廢に關する陳情書(福島縣相馬郡加藤吉太郎提出) 五 魚價引上等に關する陳情書(佐賀縣水産會福會長原口熊一)(第一三三號) 六 生鮮魚介の配給促進に關する陳情書(神戸商工會議所會頭菊池吉藏)(第一七四號) 八 魚價引上竝びに統制撤廢に關する陳情書(西日本水産協議會福岡縣水産業會長理事田村延一外八名)(第二七九號) この四件を議題に供します。