1984-03-02 第101回国会 衆議院 外務委員会 第3号
この結果、二十三名の乗組員が被災しましたし、死の灰をかぶったわけですし、無線長の久保山愛吉さんは、原水爆の犠牲は自分を最後にしてほしいと言い残して亡くなられたわけでございます。 ところが、この問題について二月二十五日付で日本の二つの全国紙がアメリカの国防総省筋の文書をスクープいたしました。
この結果、二十三名の乗組員が被災しましたし、死の灰をかぶったわけですし、無線長の久保山愛吉さんは、原水爆の犠牲は自分を最後にしてほしいと言い残して亡くなられたわけでございます。 ところが、この問題について二月二十五日付で日本の二つの全国紙がアメリカの国防総省筋の文書をスクープいたしました。
ことしは、人類最初の原爆が広島、長崎に投下されてから三十年、核兵器の絶滅を訴えるストックホルムアピールと、それに基づく世界的な平和運動が起こってから二十五年、ビキニの核実験によって日本の漁船がその放射能に被災し、無線長久保山氏が死去せられて、わが国民に大きな衝撃を与えてから二十一年になります。
無線長とか機関長とか、航海士とか、そういう方であります。ところがここの連絡は、船長官舎にも航海士にも通信士にも全部、その官舎全体には電話一本引いておりません。現場において保安部長に聞いたら、予算の関係でつけられないというお話です。そういう予算は全然ないのかどうか。
とうとう無線長の久保山愛吉さんはその犠牲となってなくなってしまわれた。そんなような事情でございまして、私どものこうむりました被害を、ごく厳格な意味で一つ調べようじゃないかというので調べた数字だけでも、二十四億七千万円ばかりの被害数字が出ております。これは各県にわたって調べた結果でございます。
特に無線長の久保山愛吉さんは、皆様御承知の通り、あの名医の手厚いお手当を受けたにもかかわらず、とうとう帰らざる人となってしまっております。 一方水産業者の受けた損害の額は、私どもが厳格な立場から公平に算出いたしました額だけでも実に二十四億七千二百七十余万円というような額になっております。
すなわちビキニの灰のために久保山無線長の死亡せられた等の問題よりいたしまして、わが国において原爆第一回の犠牲となりました広島、長崎市民から痛切なる要望が起りつつあるよしであります。このために両市長が原爆の被害が市政に及ぼしました影響その他に関連した問題、ことにこれが救済の問題につきまして本委員会に陳情をいたしたいとして上京せられております。
○柳田委員 ちようどお彼岸の中日の午後六時五十五分、第五福竜丸の無線長久保口愛吉さんが遂に逝去されました。この一報はひとしく八千五百万のわれわれ国民が、真に哀悼の痛恨やるかたなき感慨に打たれたのであります。私はこの問題に関しましてごく簡潔に政府にただしてみたいと思います。
それはビキニの水爆実験によつて被害をこうむりました第五福龍丸の無線長久保山愛吉君が、人類最初の水爆犠牲者として、去る二十三日逝去されましたことは、すでに皆様の御承知の通りでありますが、このことは我々日本国民として、又水産関係者として誠に痛恨に堪えないところでありまして、皆様と共に深く哀悼の意を表する次第でございます。
然るに今般第五福龍丸無線長久保山愛吉君が我が国医療陣の最善の努力にもかかわらず、遂に放射能症のため死亡するに至つたことは痛恨に甚えないと共に、水爆の恐るべき惨禍が、我が国民に与えた衝撃は、極めて深刻なものがある。原子力兵器こそは単に水産業のみならず、我が日本国民の生存を根底から破滅に導く虞れがあることが、十分に察知せられるに至つた。
なおこの際第五福龍丸の無線長久保山愛吉君をお見舞に参りましたので、そのことを簡単に御報告申上げます。 一昨日の委員会で皆さんの御賛同を得ましたので午後一時半私と千田委員、森崎委員が委員会を代表いたしまして東京第一病院に久保山君を訪問いたしました。
なお、第五福龍丸の無線長久保山愛吉君の病状悪化によりまして、日本国民に大きなシヨツクを与えているのでありますが、この善後措置について政府は今日までに如何なる措置をとつて来られましたか、お尋ねをいたしたいと思います。
それで無線長が乗らないために、私たちは通信を行い、そうして戸畑、福岡、下関、この海岸局及び海上保安庁に対して、この我々の状況を報告して援助を求めた次第であります。早速海岸局も出まして、福徳丸頑張れ、もう少しだから頑張れ、現場に「こしき」が急行中であるから、現場で解決をしてもらうようにするかり頑張れと言つて来て、私たちは成るべくスロー、スローで艦のあと附いておりました。