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13件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2005-08-01 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第11号

そのときに言ったのは、あなたはとにかく事業を一生懸命伸ばしたいのは分かるけれども、日本じゅう無産党が増えるぞと私は言ったことがあるんですよ。本人が今、無産党かどうかは分かりませんが、とにかく、あんたがそんなどんどんどんどん安い物を売って物すごい力で全国を制覇すると、恐らく日本無産党が増えるという言い方をしたことがあります、正直言って。  そういうようなことを今も私は考えているんですよ。

藤原誠市

2004-05-18 第159回国会 参議院 農林水産委員会 第16号

無産党なんという党もあって、今サラリーマンの子弟はみんな無産党に近いわけでありますけれども、農地があるというだけでもこれは大変なスタート地点が違うわけでありますので、そのことも踏まえまして、ちょっと最後の質問に入りたいわけでありますけれども。  この意欲あるいわゆる青年にあるいは農外から就農していただきたい。

小川勝也

1967-05-23 第55回国会 参議院 決算委員会 第10号

これは私自身が、三十数年前になると思うのですが、当時やりました労使協調会、いまの中央労働委員会があるところにあった労使協調会、この委託を受けまして、当時私は労働問題とか無産党の問題に専門的な立場であったものだから、そこで特に委託されてまとめた本があるのですがね。というのは、釜ケ崎、山谷の浮浪者といっては悪いが、当時は昭和の初めで非常に不況でもあったという状態で非常に多かったのですね、失業者が。

大竹平八郎

1965-03-17 第48回国会 参議院 本会議 第9号

戦前、君は無産党初め、日本大衆党の結成に参画され、埼玉連合会常任委員日本農民組合中央常任委員等を歴任され、特に、秋田県、青森県の小作争議指導されて、わが国農民運動史の一ページを飾られたのであります。また、労働運動においても、特に、東京、埼玉方面においてその指導に当たられ、この間、投獄数回にわたるも、その強固な信念は微動だにしなかったのであります。  

西田信一

1960-10-23 第36回国会 参議院 本会議 第5号

私は、大正末期から昭和初めにかけて起きました無産党あるいは大労働争議につきまして、必ずというほど、その指導者に対するテロのいろいろな事件をこの目で見てきたのであります。ことに忘れようとして忘れることのできないのは、当時労農党の代議士でございました友人山本宣治君が、神田の止宿先で東大七生社の一学生のために刺殺をされた事件でございます。

大竹平八郎

1951-03-31 第10回国会 衆議院 運輸委員会 第19号

私、日ごろ江崎議員は、無産党議員としてはまれに見る穏健な人だと思つておつき合いを実はしております。昨年も何箇月かずつと旅行を一緒にいたしましても、その感を深くした、のであります。しかるにかかわらず、妙なことを申されたことは、江崎氏のためにも惜しむべきだと思いますから、円満に議事を進行するために、このことだけはひとつお取消しを願つた方がよいだろうと思います。

玉置信一

1949-10-19 第5回国会 参議院 選挙法改正に関する特別委員会 閉会後第18号

これは少し緑風会及び民自党の人あたりの考えて頂かなければならんことは、何と言つて無産党を代表する社会党より左の方の者は、非常に十万円でも苦痛に感ずるということ、貧乏しているのに乘じて、成るべく出て呉れない方がいいというように現議員から思われるということは、あなた方も考えて頂きたい。その意味において少ない方に同調して貰うというのがいい。

大野幸一

1948-09-10 第2回国会 参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

証人平野力三君) 滿洲事変が勃発した昭和六年でありますが日本無産党政党及び労働組合農民組合等についての政府の態度と言いますか、急激な変化を招來したのです。当時私の頭には、かような政治情勢のしたに負いで、自己が生命としてやつて來た農民組合というものをどうして存続し、如何にして農民の利害を代表として所信を遂行するかということについては、多大の苦心をしたのであります。

平野力三

1948-05-06 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第19号

亀井証人 松本淳造氏とは政治的友誼関係といたしましては、松本君は当時の日本労農党所属をせられておりますし、私は社会民衆党所属をいたしておりますから、同じ無産党でありましても違つてはおります。しかしながら松本君は御郷里が島根縣でありました。私も小さいときにとんぼをつつたとか、かえるをつつたとかいう意味の親みはありませんけれども、歴史的な故郷は島根縣であります。

亀井貫一郎

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