1999-11-17 第146回国会 衆議院 運輸委員会 第3号
実は、私自身もその幾つかある作業班の点呼場に夜出かけていきまして、もう既に十あるうちの八つ、点検、点呼に立ち会ってまいりまして、現地の社員あるいは応援のJR他社の方、あるいは業者の方に声をかけてまいっております。また、必要に応じて、トンネルの中に私も入って実際に見ております。
実は、私自身もその幾つかある作業班の点呼場に夜出かけていきまして、もう既に十あるうちの八つ、点検、点呼に立ち会ってまいりまして、現地の社員あるいは応援のJR他社の方、あるいは業者の方に声をかけてまいっております。また、必要に応じて、トンネルの中に私も入って実際に見ております。
幡生駅におきましては、八時二十五分ピケ隊は出勤者を運転の点呼場、荷扱手詰所の二カ所に誘導いたしまして、八時四十分から職場大会を開催中であります。 大分局におきましては、全指定個所で八時三十分から行動隊約五十名が当日勤務者のかり出しを開始いたしております。職場大会の開催は九時から行う予定になっております。 大体現在までに入りました情報はこの程度であります。
私の方といたしましては、車掌区の出入りが非常にむずかしくなつておりますので、臨時に点呼場を新津の駅長事務室に設けて、そこに車掌区の助役を置いて、車掌区に入れないけれども、出勤して来て乗務の意思のある車掌に対しては点呼を行いました。
○峯田証人 あれは九月十六日だつたと思いますが、牧容所全員が朝点呼場に集合して、大体一時間近く所長の注意事項がありました。それからクラブに集合して、あのとき千人近くおつたので、一回に入れぬというわけで、半分に区切つて、第一回目に自分らは聞きました。で、いろいろ世界情勢等所長が話した後において、問題の講演をやつたのであります。
あの日は朝点呼場に全員集合しました。
同收容所員、日本人捕虜全部点呼場に集めまして講演者は中尉であります。名前は知りません。これは十二分所におつた者は全部聞いております。ソ連は日本共産党に今までは精神的のみの援助をして来たが、これからは物質的に援助する準備ができておる。諸君らは革命のときよき指導者として、又闘士として活躍することを期待するということをはつきり述べております。
○証人(小俣忠男君) タラコフ大尉は全員をやはり点呼場に集合しまして、日本の通訳、名前を省きます、この通訳の名前は後から委員長にお願をして了解を求めます。この日本人の通訳を介して我々十四分所の日本人捕虜に対して、ソ連当局は日本政府に対して諸君らがこの地においてかかつておる経費は請求をしない、というのは諸君らの労働は自活である。それ故に諸君らの、要するにいわゆる損害賠償は、日本政府には請求はしない。