1988-02-17 第112回国会 衆議院 予算委員会 第8号
六十一年二月の予算委員会で、当時の矢野書記長が災害遺児の高校進学を進めるために災害遺児育英制度を創設することを訴えたわけでありまして、以来党としても再三この実現を求めてまいりました。昨年末の党首会談でも、実はこのことを申し入れをさせていただいたところでございます。
六十一年二月の予算委員会で、当時の矢野書記長が災害遺児の高校進学を進めるために災害遺児育英制度を創設することを訴えたわけでありまして、以来党としても再三この実現を求めてまいりました。昨年末の党首会談でも、実はこのことを申し入れをさせていただいたところでございます。
○藤田委員 時間に制約がありますので、三点要望に近い形で申し上げたままでこの問題を終わるのは残念ですが、今後とも力を入れていただくように最後にお願いをして、次の災害遺児育英制度の創設の問題について長官にお伺いをしていきたいと思います。 この問題については、毎年行われている交通遺児と母親の全国大会の席上でその都度各政党が要望を受けているものであります。
○喜屋武眞榮君 それで、百尺竿頭一歩を進めるという言葉もありますが、一歩も十歩も進めまして、災害遺児育英制度の御計画があられるというのですね。そうでありますね。それじゃ、ぜひひとつこの問題は法制化をして、将来に備える安定的な組織を確立していただきたいということを強く要望申し上げておきます。よろしくお願いをいたします。 次に、国家秘密法案に対する問題について申し上げます。
次に、災害遺児育英制度のことについて申し上げたいと思います。 人類の進歩発展あるいは日本の向上発展のこのコースの中から必然的に事故の確率はスピードと量に比例して生まれるということは、これ自然の確率であります。そういうことから、災害遺児というものは必然的にふえていく、減ることはないと思っております。