1949-09-16 第5回国会 衆議院 予算委員会 第17号
○益谷國務大臣 本年の雪解け災害以來、先般のキテイ台風までの災害の概要を申し上げます。各都道府縣にわけられる詳細なものはございますが、ただいま手元に持参いたしておりませんので、後ほどお手元に配付いたす考えであります。
○益谷國務大臣 本年の雪解け災害以來、先般のキテイ台風までの災害の概要を申し上げます。各都道府縣にわけられる詳細なものはございますが、ただいま手元に持参いたしておりませんので、後ほどお手元に配付いたす考えであります。
一昨年の災害以來今日まで、私たちも当時國土委員として、その現状あるいは予算等についても研究をし、またそれぞれ関係の人々からもよく伺つたのであります。そうして二十二、三年度の工事関係については、全國的に被害地を調査して参つておりますが、大きな損失をこうむつておりますことはただいま江崎先生が言われたことに関連しておりますが、施工も悪いけれども、また実際請負人が誠意がないというような実情もあります。
呉市内の各河川の砂防工事は、早くからその必要性を認めまして、昭和十四年度に着手し、それから昭和二十年の災害以來、工事の拡張をはかつたのでありますが、砂防予算が少かつたために、昭和二十三年度までは十九河川に対して約一千二百四十万円を支出したのにすぎませんでした。特に上流地帶の砂防工事はまだ緒についていないような現状で、まことに遺憾に存ずるわけであります。
既往災害と申しますと、既定の國家補助金がいまだ済んでおらぬものが——昭和二十年の災害以來、二十年、二十一年及び南海震災、それと昨年の災害というものは國庫補助がまだ残つている状況でございます。この表に示しておりますのは、二十年、二十一年、南海震災というのは第四・四半期の金を相当計上しております。この金を支出いたしますならば、二十年、二十一年、南海震災は全部既定の補助がすむわけであります。
なおこの際、地元を代表いたしまして厚く御礼を申し述べさせていただきたいことは、去る九月十六日のアイオン台風の災害以來、本委員会から急遽視察團を派遣くださいまして、特に靜岡縣下のうち、最も被害状況の甚大なる志太郡を初めといたしまして、榛原郡、小笠郡、ないしは靜岡、安部、庵原方面に、つぶさにその被害状況につきまして御視察を賜つたことに対しましては、衷心より厚く御礼申し上げる次第であります。
○田中專門調査員 香川縣三豊郡大谷池復旧工事は、昭和二十一年の災害以來三箇年の継続事業として着々進んでいたが、昨年七月の豪雨のため、本工事の受けた被害は大で、工事費はますます増大し、加うるに物價暴騰の結果五倍以上の工事費を要するので、これが復旧費の地元負担は困難である。ついては二十三年度の本事業に対し國庫補助を増額されたいというのである。
○大石説明員 呉市内各河川の砂防工事は早くよりその必要性を認め、昭和十四年度に着手し特に昭和二十年の災害以來工事の拡大をはかつたが砂防予算僅少のため、二十二年度までわずか約二百七十一万円を支出したにすぎず、工事の進捗が遅れているのは遺憾である。
○田中專門調査員 廣島縣は、全國有数の河川保有縣であるが、地勢的に年年水禍にわざわいされ、殊に昭和十八年の災害以來連続的に毎年災害をこうむつたため、これが損失額は数十億円の巨額に達し、これに要する土木復旧費のみにても七億円を算する状態である。
○伊藤説明員 廣島縣は昭和十八年の災害以來連続的に大災害を受け、その被害の甚大なことは政府も認めて居るところであり、昭和二十二年度においてもでき得る限りの國庫補助金を交付し、復旧の促進に努めているのである。昭和二十年災害及び二十一年災害に対する國庫補助残高もなお、巨額であるが、現在の國庫財政の状態では、これを昭和二十三年度で完結することは甚だ至難である。目下請願の要旨に添うべく折衝中である。
昨年の九月十五日、大災害以來今日まで私たちは被害地を代表いたしまして、関係者と相協調して努力をしてまいつたのであります。川野さんからも御質問でございましたけれども、はなはだ予算の関係について遺憾の点がある。
錦川及び御庄川改修促進に關する請願でありますが、昭和十年災害以來毎年のごとく相當の被害をこうむり、その都度當局におかせられてはわざわざ實地御踏査の上、莫大な國庫補助を仰ぎ、著々復舊いたしておりましたが、殊に昭和十七年及び二十年關西地方は未曽有の大災害をこうむり、これが復舊については、當局におかれても技術的に考慮を拂われ、姑息的災害復舊に默することなく、一大英斷のもとに錦川、御庄川その他各河川とも總合計畫
○説明員(三島利美君) 非常にこの工事は、昭和十三年の災害以來年數を經過いたしておることは實に申譯ないと存ずるのでありますが、經費の點やなんかから、今年度にということは、どう考えましても申譯ない次第でありますが、でき兼ねるのであります。先程お話申上げたのでありますが、明治二十三年度から三ケ年間ぐらいに是非ともこれを完結いたしたいという氣持で今は進んでおるのであります。
お手もとに刷物をお屆けいたしましたと存じますが、東北地方が地域的に非常に廣範圍にわたりまして、しかも災害が非常にひどかつたのでありますけれども、本年の四月以降の雪解け災害以來、この八月十五日までの總計で申し上げますと、全國で四十二億圓からの災害復舊費に上つておるのであります。その中で一番ひどいのは秋田縣でありまして、これは秋田一縣で十億八千萬圓からの損害額になつております。