1993-03-05 第126回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第2号
社会党の辻原弘市代議士が当時の灘尾文部大臣と、文教委員会さらには予算委員会でちょうちょうはっしの、相撲茶屋の問題についてこの近代化を図るべきじゃないか、今盛んに言われるいわゆる改革すべきだということを強く主張してこの問題が大きな社会問題になった。
社会党の辻原弘市代議士が当時の灘尾文部大臣と、文教委員会さらには予算委員会でちょうちょうはっしの、相撲茶屋の問題についてこの近代化を図るべきじゃないか、今盛んに言われるいわゆる改革すべきだということを強く主張してこの問題が大きな社会問題になった。
私は、昭和四十三年から、教育公務員特例法のときに、灘尾文部大臣、小川労働大臣のときに教師聖職論ということでやってその議事録を見ておりましたら、あなたもちゃんとメンバーに入っておられました。西岡理事それからあなた、それから松永さんいなかったな、それから河野洋平さんとかずっといました。
昭和四十三年、灘尾文部大臣のときに定められた小学校学習指導要領が、昭和五十二年に改訂されました。新旧の比較をしますから、ひとつよく覚えておいていただきたい。 旧には、古い要領には、「家庭、社会、国家に対する愛情を育てる」という大事なことが書かれておる。また、「我が国の歴史、伝統に対する理解と愛惜を深め、正しい国民的自覚を持って国家や社会の発展に尽くそうとする態度を育てる。」
それでは、続いて、養護教諭の問題につきまして、いま山原議員からもその配置に関する御質問がございましたが、私も思い出しますことは、最初、義務教育諸学校の教員定数、これがずいぶんまちまちになっておりましたので、最初に法律として出ましたのは灘尾文部大臣のときで、前の内藤文部大臣が初中局長のころでございましたが、これは都道府県が措置したものの半額を国が負担するというのが当初のスタートでございました。
少し蛇足になりますけれども、この問題を国会に持ち込んだのは三十一年私が初めて、当時の神田博厚生大臣、灘尾文部大臣としきりにこの問題をやったものですが、あのときを回想しますと、医学だけではだめだ、化学も必要だろうし工学も必要だろう、疫学も必要だろう、薬学も必要だろう、そういうきわめて広範な、いわば学識の粋を集めてこの問題に取り組もうじゃないかということで合意を得た経緯があります。
さらに引き続いて一九六七年の十二月二十八日に、灘尾文部大臣の国防思想養成に関する記者会見での発言が出てまいりました。これがどういうふうに教科書の中にあらわれてくるかといいますと、一九六八年、翌年の小学校六年生の社会科の指導要領で、国家の安全と繁栄については今後一層の努力が必要であるという一項が入ることになります。
私は、むしろいまの超過勤務手当をもう少しふやそうじゃないか、そのかわりわからない子供をなくしてもらうというそういうことに真剣に取り組んでくれと、そういうようなところに金を使うのは私は結構だと思うわけですよね、あるいは灘尾文部大臣は当時なかなか熱心に言われたけれども、いわゆる教師の研究費というものの支給の方法はあるとしても、そういうものを考えてみる。
これは灘尾文部大臣当時の言葉がそのまま載っております。愛国精神を育成する、これはいろんなところでこのごろ聞かれることでございます。この二つの問題が市販されているところの「国民時事百科」に載っているわけでございます。愛国精神を育成するといういま言われている言葉だの、この市販されているところの辞書に書いてあるところの愛国精神の問題なんですが、私は国民の方から陳情を受けました。
一番初めは中村梅吉文部大臣でしたけれども、幾ら申し上げても、これは言論の自由、表現の自由があるから取り締まるわけにはいかない、その次が灘尾文部大臣でしたけれども、そのときも相当ひどいのを持ってまいりましたけれども、これもまた言論の自由、表現の自由があるから、これではだめだ、取り締まるわけにいかないと。こういうことで、またこれを集めてきました。
三十七年、三十八年、時の灘尾文部大臣に対しまして私がこの助成方をお願い申し上げたのは、重要無形文化財という指定を受けながら、非常に栄誉ではあるけれども、それがために普通の経済ベースに乗るような仕事かできずに伝承責任を負い、多くの方々が見学に来られる、指定を受けながらその重荷に耐えかねて自殺した方が、どこでしたか、玉置何とかという、私と同じ名字のおばあさんでしたが、ありました。
○有島委員 どうも解せないのですけれども、私は実は灘尾文部大臣のときだったか、お会いなさいませということを申し上げているのです。私は別に日教組の肩を持つわけではないのですよ。私は私なりにいろいろなことを考えておりますけれども、文部当局の総責任者が日教組の方とお話をし合わないというのは、非常にぼくは不用然だというふうに思うし、国民もみんなやはり不審な気持ちを持つと思うのですね。
○江藤委員 この指定漁業とあるいはそういう沿岸漁業との関連について長々と申し述べる時間がないのでありますが、この際ひとつ確認しておきたいことは、昭和四十三年八月二十日に、科学技術庁が行なう俗にいう種子島ロケット打ち上げに伴って、当時の科学技術庁長官鍋島長官、灘尾文部大臣、それから防衛庁の増田長官が地元に対して覚え書きを交換しております。
そうすると、過去にそうそうたる大臣たちが、これは荒木文部大臣、中村文部大臣、灘尾文部大臣、剱木文部大臣、坂田文部大臣、歴代の文部大臣の所信として、「特殊」教育の振興に尽くしたいとみなだれも述べておりますね。それほど重点施策として御努力をされているのであれば、少なくとも一〇〇%とまではいかないまでも、もっと私はこれは進歩しているだろうと考えていた。
○有島委員 最近では灘尾文部大臣が、これにより教員の給与の実態を的確に把握するために調査し、抜本的な給与の改善をはかり、魅力ある教育界の形成に資したい、こうおっしゃっているわけです。そういったことから一歩も前進がない。これは、先日もおっしゃったように抜本的な改正ではないわけです。
灘尾文部大臣はそれに対して、館長が本物だと言っているので、私はそれを信じています、こう言っているわけです。ところがもう灘尾さんも答弁をしたときには、ルグロなる人物の化けの皮があらわれて、アメリカの何とかいう大富豪がさんざんこのルグロに贋作をつかまされたというあれがアメリカでも問題になった。フランスの新聞はこれをもう盛んに書き立てた。そういうときでも贋作でないと言い張ったわけです、文部省。
このことは灘尾文部大臣の時代からも、非常にそれは遺憾なことであるとして、閣議の中でも極力努力しているというお話がありましたが、この姿勢は大臣お持ちですか。
この内容について詳細は省きますけれども、おそらくいまの坂田さんならば理解するでしょうけれども、前の灘尾文部大臣でもお読みになったならば、まあ三日間くらいは聖路加病院に入って鎮静剤をお飲みにならなければ、あいつをやめさしてやろうという執念が抜けないであろうと思いますが、レオン・ブルムの「恋愛論」は彼の名著の一つになっております。
あるいは振興会からも補助金の計上が許されたというようなこと、並びに給付内容等の改善が漸次行なわれてまいりましたので、そこで昭和三十五年であったかと思いますが、未加入校全部加入するような運動が私学内部で起こりまして、相当具体的に進んだのでありまして、当時灘尾文部大臣その他政府の方々並びに国会関係の先生方もたいへん御尽力をいただいたのでありますが、実は私ども内部の意見が究極的に完全な一致を見なかったために
前の灘尾文部大臣もこれは昨年ですか、北海道へ行かれましたね、九月の十八日から北海道で全国の中学校長会議、全国普通科の高校長会議がありまして、それに出席のために行かれて、九月十七日に札幌で記者会見をされましていろいろ話されたのですが、その話の最後にこういうことを言われている。新指導要領に従わないと言っている京都府教育委員会は全学連と同じだ。
教育大学というのは、私は灘尾文部大臣にとくと御質問申し上げたところが、そういうふうなことになるようなことは一切ない、私は責任を持ってやりますというふうにこの席でお答えになった。ちっとも責任を負わない。あんな騒ぎをしている。そんなものが簡単に行きますか。ゲバ棒騒ぎになってしまう。またそんなことをすればたいへんですよ。 国土地理院、これはまた話は別でしょう。