1996-06-19 第136回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号
まず、私たちは、被災地の恒久住宅の現況をこの機会にぜひ一度見ておきたいものと思い、神戸市灘区にある灘北第二災害復興公営住宅の建設現場を訪れました。この地区の計画戸数は、一般向けのものが百九十五戸、車いすを常用する重度障害者向けのものが五戸、このほか、安否の確認や緊急時のお世話を願う専属の職員を置く予定のシルバー八ウジングが九十戸、合わせて二百九十戸であります。
まず、私たちは、被災地の恒久住宅の現況をこの機会にぜひ一度見ておきたいものと思い、神戸市灘区にある灘北第二災害復興公営住宅の建設現場を訪れました。この地区の計画戸数は、一般向けのものが百九十五戸、車いすを常用する重度障害者向けのものが五戸、このほか、安否の確認や緊急時のお世話を願う専属の職員を置く予定のシルバー八ウジングが九十戸、合わせて二百九十戸であります。
灘北交通が——これは半官半民の形でしょうが、実際は全部官が経営したような形になっていて、満鉄と同じような性格ですが、あの当時これが扶輪学校なるものを置いたわけなんです。これは主として当時の宣撫工作の仕事を担当されておったようなんですが、満鉄において経営されておる小学校と同じような性格なんですが、そこまでいかないうちに戦争が終ってしまったわけなんです。