1954-10-07 第19回国会 参議院 文部委員会 閉会後第17号
それでP・T・Aの会長さんにそれでは一つ各家庭に向つてアンケートをして欲しい、そういうことで後日アンケートされまして私のところに瀬口会長からその結果を持つて参りました。先ほどから非常に不明だ不明だとおつしやつておられまするが、今ここで発表いたしますと、当時黒髪校の家庭の総数が千二百六十七でございます。このうちでこのアンケートに応じて答えを提出いたした数が千二百二十九名であります。
それでP・T・Aの会長さんにそれでは一つ各家庭に向つてアンケートをして欲しい、そういうことで後日アンケートされまして私のところに瀬口会長からその結果を持つて参りました。先ほどから非常に不明だ不明だとおつしやつておられまするが、今ここで発表いたしますと、当時黒髪校の家庭の総数が千二百六十七でございます。このうちでこのアンケートに応じて答えを提出いたした数が千二百二十九名であります。
そもそもこの問題が起りましたのは、昨年の十一月宮崎園長があたかも人権擁護週間でありましたときに法務局に提訴されたことから始まりましたので、その前の瀬口会長と恵楓園長との話のやり取りは又あとで会長から詳細お話がありますと思いますので、私は時間の関係上、そういうことを省略いたします。 十二月の九日と考えますが、P・T・Aの総会が開かれました。
○参考人(近松照喜君) 龍田寮の性格が先ほど瀬口会長からお話になつたような状態でありまして、文部省の三省決定の事項もこれは原則論であります。