1979-11-13 第89回国会 衆議院 本会議 第3号
私はこれからも、郷土の大先輩尾崎行雄先生や濱田國松先生の遺訓を胸に刻み、真面目な政治家として国事にお尽し申し上げる決意であります。 今後も何卒宜しく御指導下さいますよう御願い申し上げまして、御礼の言葉と致します。
私はこれからも、郷土の大先輩尾崎行雄先生や濱田國松先生の遺訓を胸に刻み、真面目な政治家として国事にお尽し申し上げる決意であります。 今後も何卒宜しく御指導下さいますよう御願い申し上げまして、御礼の言葉と致します。
濱田國松氏と寺内陸相との間の切腹問答も、齋藤隆夫氏のシナ事変処理についての内閣糾弾演説も、私はこの目で見、この耳で聞きました。近衛新体制運動が起こり、国会が日一日とその権威を失墜し、無力化する姿も、つぶさに見てまいりました。そして、すべてが徒労に終わって、わが国は不幸な戦争へと突入したのであります。この重大な危機に際し、国会の中に議席を有しながら何をなし得たか、顧みて汗顔の至りでございます。
法律とはしばしばさようなものであるということを私は了承いたしておりますが、ただこれは国会の問答でございまして、あなたもしばしば若かりしときに法服をつけて、おいこらともやらなかつたでしようが、人定尋問をせられた当時のわれわれは被告じやないのだから、そういう意味でお聞きを願いたいのだが、私は若いときにかつてジヤーナリストから国会議員になつた体験者の一人として、今日の光景はかつて濱田國松氏が本会議議場において
濱田國松さんにしても、齋藤さんにしても、牧野良三さんにしても、軍に対してのあの人たちの演説は、今問題になつておるような、そんななまやさしいものじやない。一一議員の発言内容がどうであるというので―これは私は共産党の肩を持つとか、何とかいうのじやありませんよ。実際その行為が懲罰に値するというのなら、大いにやらなければならぬ。