1954-02-04 第19回国会 参議院 地方行政委員会 第2号
午後零時三十分頃になりまして、容易に参入のできない参賀者の中で婦人、子供等でもう帰りたいという者も相当できて参りまして、帰る者と進む者と、この両者がお互いに殺到いたしまして、そこで前からの皇宮警察官のお申出もありますので、丸の内署員二個分隊を以ちましてこの広場にななめにロープによつて途中で遮断せざるを得ないことになりまして、そして帰る人は成るべく警察官がお手伝いしてこれを群衆の中から引つぱり出して、そしてお濠端
午後零時三十分頃になりまして、容易に参入のできない参賀者の中で婦人、子供等でもう帰りたいという者も相当できて参りまして、帰る者と進む者と、この両者がお互いに殺到いたしまして、そこで前からの皇宮警察官のお申出もありますので、丸の内署員二個分隊を以ちましてこの広場にななめにロープによつて途中で遮断せざるを得ないことになりまして、そして帰る人は成るべく警察官がお手伝いしてこれを群衆の中から引つぱり出して、そしてお濠端
やや川崎君の問題に似たような問題でありますが、もと宮城の前に、濠端にあつたのだと思いますが、満州国大使館というのがありまして、これは康徳会館とかいう通称であつたそうであります、これが昨年三井不動産に売却をせられたそうであります、今日まだ国交も回復いたしておらぬようでありますが、満州国大使館が一体どういう経路で三井不動産に売却をせられたのか、外務省では御存じと思いますが、これが非常に国際的な問題を起しておるようでありますけれども
をつくつた、その原案が自由党の手によつてめちやめちやになつたというような趣旨の御発言があつたかと思うのでありますが、そうではないのでありまして、私どもは今申しましたような基本的な、客観的な情勢や雰囲気の中において、よいものを民主的につくり上げたいという気持から、従来のように、いわゆる大蔵省という役所の手によつてつくり上げたものが、動きがつかない、閣議に一旦提出されたならばこれは不退転のものだ、と当時のお濠端
然るに、只今議題となつております自由党政府原案なるものは、電源開発に名をかりまして、四カ年近くお濠端にひざまずいた腰抜け外交を隠蔽し、国連旗の陰に隠れて朝令暮改の紙屑法律の濫発による内政の失敗を糊塗せんとするものでありまして、党利党略に狂奔の果て、政治も行政も無機能無能力に落ち、命旦夕に迫つた斜陽内閣の遺言状のごときものであります。(拍手)遺産の争奪が起らなければよいと私は心配をいたしております。
その際松本委員長、松永委員長代理等々のお言葉では、お濠端の意見がそれと全く反対だという意見も述べておられまして、それにもかかわらず強硬に述べて政治的な感覚で料金をきめるこういつたのに対して、最初の公益事業委員会の裁定がなされた、あのとき書類が来ておりましたのを皆さんにお配りすることにしておりましたが、政府並びに公益事業委員会側が司令部と交渉しておりました最中ですから、悪い影響を與えてはならんと思つて
陳情書を正式なものをお差上げいたしておらないことを誠に申訳けないと思うのでありまするけれども、専門員の方を通じまして、いろいろな建前から、自治庁の方を初め財政部長その他の方々の御意見をも承わりまして、いろいろ占領下にあります故を以ちまして、お濠端の意見等も多少伺つて置く必要がないかと御相談いたしましたところ、そういう必要もあるであろうということで、二回に亘りまして陳情に出ましたが経過に基きましてその