2016-05-31 第190回国会 参議院 国土交通委員会 第14号
具体的には東京都墨田区の旧同潤会アパートの事例でございます。
具体的には東京都墨田区の旧同潤会アパートの事例でございます。
表参道に同潤会アパートがありましたから、ごらんいただいたと思うんですけれども、あのアパートは実は、若い単身用の部屋もあるし、年寄りのお二人用の部屋もあるし、五、六人用の部屋もあるしということで、まさにさまざまな住戸のタイプがそこにあったんですね。ここなんですよ。
当時の集合住宅というのは、それこそ同潤会アパートがつくられた後に南面板状神話というのができて、ようかん型の板状の建物が五階建て、六階建てという、今でいうと低層のものが幾つも南向きにようかんのように並べられた。そして、その集合住宅に住まう方々は、少なくとも一つの階段で十戸ほどある、その十戸ほどが一つのコミュニティーとして、向こう三軒両隣のような、そういったかいわい性が保てるものでありました。
その際、単身の家族が増える中で、公共的なアパートあるいは普通の民間の集合住宅においても一部革新的なところは出ていますが、独りで暮らしていらっしゃる年配のおばあちゃま、それから若くして未婚で子供を産んだ母、それから男性の下宿人、全部が同じアパートにいて一階に食堂があってみんなで食べられるという、まあ一種昔の同潤会アパートの理想みたいものが復活しているところがありまして、ある種そうした社会的な住まいという
これは、お手元に写真を三枚、これはホッチキスで留めていただいていないと思いますのでちょっとぱらぱらと見ていただきたいと存じますけれども、三枚目になっているかと思いますけれども、同潤会アパートの写真を写真2として真ん中に入れておりますけれども、仮に、同潤会アパートは昭和二年の入居でございますから、現在で七十何年ですか、経過していて、これはろくな修繕ほとんどしてこなかったわけですね、ほとんどと言うと語弊
けれども、マンションによっては、私は一概にどうこうと言えることはないと思いますのは、大体築後三十年から四十年経過した時点というのが平均的には一番多いわけで、平均では大体三十八年という数字も出ておりますけれども、鮫島議員は御存じだと思いますけれども、同潤会アパート、当時はアパートと言ったんですけれども、これは大正末期の施工で、少なくとも今大体七十五年ぐらい経過していますね。
ただ、そのときに、一言言えることは、古いと思ったマンションでも、同潤会アパートというのは、大正末期の施工でも、今約七十五年ももっているのですね。そういうものもあるということからいえば、やはり建てかえ時期というものは建物によってもいろいろあるということと、私たちが戦後とった政策と、今困っていらっしゃる建てかえというのとは切り離して私は考えさせていただきたいと思います。
例えば、東京・原宿の表参道には、有名な同潤会アパートがあります。もう何年になるのか、大変に古い建物ですが、ツタの絡まったその外観は原宿の風景にも溶け込み、何とも言えぬ味わいを感じます。また、長年住んでいる人にお話を伺うと、アパート全体が家族のような一体感があるということでした。あのバブルの時代とは全く違う価値観、生き方、そしてコミュニティーがそこにはあります。
関東大震災の後、同潤会アパートというのを建てまして、ちょうど表参道にもありますけれども、その同潤会アパートは、同じ間取りをずっとつくったのではなくて、一人用、二人用、そして御老人用、四人家族用ということで、しかもコミュニティースペースもある、そのミックスしたアパートで関東大震災で被害に遭われた方を収容させていただいたという歴史もあるわけです。
いろいろ話題になっておりますのに、同潤会アパートの建てかえ等の問題があるわけですが、これにつきましてはその一部につきまして、押上二丁目の中之郷住宅につきましては、今度再開発で建てかえようというような計画がまとまっております。そのような現状のもとで、3で「長期計画による二十一世紀へのまちづくり」の問題を話さしていただきます。