2006-02-09 第164回国会 衆議院 予算委員会 第8号
中国の漢書の中で、綸言汗のごとしという言葉がございます。一たび体内から出た汗は二度と人間の体の中に戻らないという言葉でございますが、これは、その昔から、一たび発せられた指導者の言葉というものは非常に重いものがあって、そしてまた責任があるということでございます。
中国の漢書の中で、綸言汗のごとしという言葉がございます。一たび体内から出た汗は二度と人間の体の中に戻らないという言葉でございますが、これは、その昔から、一たび発せられた指導者の言葉というものは非常に重いものがあって、そしてまた責任があるということでございます。
中国の古典、後漢書に、「志は易きを求めず、事は難きを避けず」、この名句があります。いったん志を立てたなら簡単に妥協せず、また何か事を起こそうと決意したら困難を避けずぶつかっていくという意味であります。
中国の後漢書にはアイヌのことが登場します。しかし、日本の古事記、日本書紀は、天皇の都合によってしょっちゅう書き換えられたために歴史書としてはどうもあいまいであるということで余り信用されておりません。しかし、外側の中国の歴史書などには割に正確に書かれております。この日本列島の六割以上のところに、かつてアイヌ民族の先祖が住んでいたということが分かっております。
総理、漢書に綸言汗のごとしという言葉がございます。一度口に出した政治指導者の言葉は、一度出た汗を体内に戻すことができないように、その言を取り消すことができないという意味であると承知いたしております。
○西村(眞)委員 漢書の言葉に「断ずるに当たって断ぜざればかえってその乱を受く」という言葉がございます。ささいなことでもその都度その都度決断しなければ将来必ず大きな乱を招くという言葉でございまして、尖閣周辺のこの十年の経緯を見ますれば、かのエスカレートはまさにこの「断ずるに当たって断ぜざればかえってその乱を受く」という言葉どおり、我が国の姿勢がエスカレートを招いていると思わざるを得ません。
○衆議院議員(三原朝彦君) 朝令暮改、来る前にちょっと図書館へ行って調べまして、広辞苑で引きましたら、古い中国の漢書の何か出典だそうでありまして、つまり平たく申し上げますと、命令が定まらないことだと、こう書いてありました。
中国の後漢書には「遠い地方の人が君王の徳に感化されて帰服すること。」、これが出てくるわけですね。それからもう一つは「人間の媒介で渡来した生物が、その土地の気候・風土になじみ、」そこで「自生・繁殖するようになること。」、これは生物の関係です。いずれにしても、平身低頭、投降帰順というような感じの語感をニュアンスとして持っているのですね。
京都大学の上田教授によりますれば、倭と称号しておった日本が初めて漢書を初めとして中国その他の歴史書に日本という国号を明らかにした時代である。
これはすぐ決まるようでなかなか決まりにくいというようなことになっておるわけでございまして、当然やはり漢書、孟子とか論語とか書経とか、そういう古い教典から出典を求めるというようなことにもなるのじゃないかというように思うわけでございますが、いずれにしても、最終決定は総理がされるのだろうというように思うわけでございまして、やはり国民に、なるほどそういうふうに決まったのか、こういう人たちで決めたのかということで
大化という文字は非常にいろいろな意味を持っているのでありまして、これは中国の言葉だけれども、呂氏春秋の漢書からとっているのです。「姦邪去り賢者至りて大化をなす。」ここから大化をとったというのですね。そして「民のために利を興し、害を除き大化をなす。」こういうふうなつながりになっています。そして「教化を布いて天下を治せんとす。」こういうふうな歴史の言葉の中からつながってきているのですね。
この出典を有するという意味合いは、従来のような中国の古典、五経とかあるいはいろいろなものがありますね、それから史書——史記、漢書、後漢書とかいう歴史書ですね、こういうものには必ずしもこだわらない、こういうふうに理解してよろしゅうございますね。
六、七百年短縮しても紀元一世紀ごろで、考古学のほうで申しますと、弥生時代の中期、中国の歴史書である漢書や後漢書によりますと、北九州だけでも数十の小さな国に分かれていた時代であります。国といっても実質は村ないし郡程度の小さい国が政治的にまとまったというにすぎません。三世紀に入いると、約三十の小国を統合して、邪馬台国という国が成立します。
漢書にいわく、こう書いています。匈奴の伝、「漢兵匈奴に入るごとに、匈奴すなわち報償する」、イコール報復の意味だ。報償は補償に比べて弱い意味を持つなんて、いいかげんな言葉でごまかすことはやめなさい。これは最も権威のある簡野道明さんの「字源」です。少なくとも論議の場であるならば、言葉の概念規定をはっきりさしてもらいたい。
そのときにタゴールが経営しておりましたシャーンチ・ニケタンの大学へ私が参りましたときに、蒋介石政権から二万冊の漢書を持ち込んで、あそこでいわゆるシナの宣伝をやったことがあります。
ところが、われわれの想像と漢書て、七十九億円が譲与されまして、しかもそれがいわゆる従来の百億の肩がわりになるというような形に行つたので、非常に私たちも苦悩しておるような段階でございまして、この点は先ほど御説明申し上げた通りであります。この三項は、これは建設当局が考えた案じやないのでございます。
漢書には民巳の大化の後天下常に一人の獄無しということがあります。大化が行われて、政治的に大化の改新の功績が見えた。従つて白雉或いは和銅、養老などというようなものは、一つの動物が出たから改元したのではないと申せます。迷信とかそういつたもので改元は決して行われるものではない。例えば白雉の時には、易林によると白雉群雄、徳を慕つて朝に貢ぐという意味において白雉という年号ができております。
たとえば岩崎家のもつておつた静嘉堂文庫というものは、二十万冊の世界に類例のない漢書をもつております。この図書館は、もし現時の相場にいたしましたならば、何十億の金を出しても買えないものであります。いま一方に、同じく岩崎家の関係であつたところの東洋文庫というものがあります。