1973-04-12 第71回国会 衆議院 社会労働委員会 第14号
「特に昭和十九年以降、戦争が益々苛烈となるに従い、学内及び市内の医師が次々に軍医として召集されてからは、長崎県第一次防空機関防空演習実施計画が佐世保海軍鎮守府司令長官、長崎要塞司令官、長崎県知事等の命令により本学並びに附属医学専門部の学生を以ってこれに当つることとし、昭和二十年四月二十六日、長崎駅及び大波止桟橋に爆弾が投下され多数の死傷者を出した際にも、学生全員を出動させてその救護に当らせて居るのである
「特に昭和十九年以降、戦争が益々苛烈となるに従い、学内及び市内の医師が次々に軍医として召集されてからは、長崎県第一次防空機関防空演習実施計画が佐世保海軍鎮守府司令長官、長崎要塞司令官、長崎県知事等の命令により本学並びに附属医学専門部の学生を以ってこれに当つることとし、昭和二十年四月二十六日、長崎駅及び大波止桟橋に爆弾が投下され多数の死傷者を出した際にも、学生全員を出動させてその救護に当らせて居るのである
たとえば、当日の演習実施計画がどういうものであったか、従って何時から何時まで、どういう態様の演習がなされておったのであるかということをまず明らかにすることによって、事故の発生しましたその時間における米兵の行動が、まさしく演習中の行動の一環であったかどうかということがはっきりするわけでありますので、そうした点を究明いたしておるのでございます。