1975-12-05 第76回国会 衆議院 外務委員会 第4号
がございましたが、この第十一晃久丸は、ことしの五月八日、室戸市室津港を出て南インド洋などで操業を終えて帰国の途中警備艇に連行されたという事件でありますが、私、実は、高知県の友人がこの船に関係しておりまして、つまびらかに報告をいただいておりますけれども、詳細を申し上げることは、時間の制約がありますのであれですけれども、その中で、この連行された事件の知らせは、当時付近にいたところの静岡県清水市の晴和漁業会社所属
がございましたが、この第十一晃久丸は、ことしの五月八日、室戸市室津港を出て南インド洋などで操業を終えて帰国の途中警備艇に連行されたという事件でありますが、私、実は、高知県の友人がこの船に関係しておりまして、つまびらかに報告をいただいておりますけれども、詳細を申し上げることは、時間の制約がありますのであれですけれども、その中で、この連行された事件の知らせは、当時付近にいたところの静岡県清水市の晴和漁業会社所属
○大和田政府委員 韓国船と日本の漁船との間の紛争が昨年は比較的多く発生いたしましたけれども、いま御指摘の問題は、韓国のイカ刺し網漁船でペクソン——日本語で書きますと百勝号ということでございますが、これは昨年の十月三十一日十九時三十分、大体済州島の南方でございますが、長崎市の灘という漁業会社所属の二十一、二十二浜吉丸という、これは以西底びきの二そうびきの船でございますが、これが韓国のイカ刺し網のペクソン