1999-12-03 第146回国会 衆議院 商工委員会 第7号
工場は、滋賀県信楽という焼き物の町で滋賀工場、それからアメリカのカンザス州に工場があります。 会社の特徴といたしましては、そういう厳しい年に始めたものでありますから、大体人の嫌がるものとか難しいものとかそういったものを専門にやる会社ということで、おのずと設備関係は自分たちで考えて、考案した設備で物づくりをする、そこら辺が当社の特色かと思います。
工場は、滋賀県信楽という焼き物の町で滋賀工場、それからアメリカのカンザス州に工場があります。 会社の特徴といたしましては、そういう厳しい年に始めたものでありますから、大体人の嫌がるものとか難しいものとかそういったものを専門にやる会社ということで、おのずと設備関係は自分たちで考えて、考案した設備で物づくりをする、そこら辺が当社の特色かと思います。
つたない私の経験でも、私は、構造不況業種の繊維産業の中で日本では初めてのナイロン工場という東レの滋賀工場におりまして、設備の老巧化とともに今大臣のおられる石川県、選挙区の方に最新鋭の工場をつくって滋賀工場は閉鎖するということで、当時の労働組合の委員長をやっておりまして、一千名近い人間のいわゆる要員再配置という大変な経験をいたしまして、今この日産の皆さん、特に座間の皆さん、それから労使の皆さんの御苦労
しかも、その工場の機械というのは、東レの滋賀工場から、日本の東レの方ではそれがもう使われなくなっていて、そして南朝鮮にその機械を持っていって、そこでそんな事件が生まれている。 そのシンポジウムに参加した人が言っている話を聞くと、こういうことを言っておられます。
東レ、これは当時の東洋レーヨンでございますけれども、東レが韓国の興韓化学繊維、これは今先生からお話がありました、現在源進というふうに呼んでおりますが、これとの間で一九六二年、昭和三十七年でございますけれども、十二月に滋賀工場のビスコースレーヨン製造設備を売り渡す契約をいたしまして、試運転、それから技術指導ということを行いました後、一九六五年、昭和四十年五月に先方の研修を終えまして引き渡しを完了したというふうに
○糸久八重子君 第二班は、去る二月六日から八日までの三日間にわたり、岡部理事、橋本理事、高木委員、抜山委員、青木委員と私、糸久の六名で、本委員会及び高齢化社会の諸問題について滋賀県、三重県における概要を聴取するとともに、これと関連して滋賀県立むれやま荘、科研製薬株式会社滋賀工場、滋賀県立成人病センター、守山中高年齢労働者福祉センターを、また、三重県立美術館、小山田特別養護老人ホーム及び東芝三重工場を
本社が大阪市の平野区にあるわけなんですが、ここの滋賀工場に勤めていた田中とよさん、当時三十六歳であります。昭和四十九年の八月十日に、自分のロッカーが会社の中にあって、着がえを入れているわけですが、ふとその日にロッカーをあけてみますと、広告紙の裏に黒のマジックで、「田中のエッタ、うだってい、しみたれ、会社やめよ、おばはん」、こういう差別文書が投げ込まれておった。
しかもそういう病気を起こしてはならないわけですが、私どもは公明党の調査団として、実は日本コンデンサそれから東洋レーヨンの滋賀工場に行きました。東洋レーヨンの滋賀工場に参りますと、鐘化から四十一年に五トン購入し、それから使用禁止になってから十八トン、三年間で自分のところの東洋レーヨンの滋賀工場でこれを焼却しているのですよ。焼却炉を見に行きましても、そのままぱっとたいている。
何か意図するところがあって滋賀工場をああいう方向に持っていこうこれは突っ込んでいけば、ある資本と資本とのつばぜり合いのようなかっこうではないかとも私は思います。しかも先ほども言いましたように、誘致工場であり、地元から県から全部が応援してつくった工場でございますから、なおさら地元の人も非常に関心が深いわけでございます。
○渡邊説明員 三豊工業の滋賀工場につきましては、先生御指摘のように過去から労働災害は非常に多く出ております。四十五年度中を見ましても、休業八日以上の負傷は二十三件でございまして、度数率が四七というふうに、同業種の全国平均をかなり上回っておるわけでございます。
で、あの草津の問題は、日本コンデンサだけではなしに、甲賀コンデンサ、あるいは東レの滋賀工場、中央合成、東洋カーボン、市金工業というようなところがPCBを使っておる。こういうことで、かなり広範囲に湖の岸で使われておる。そこからPCBがかなり流入をしているというふうに見なければいかぬ。それで特にひどいのは、圧倒的に使用量が多いのは日本コンデンサで、五百十六トンということのようであります。
帰りの汽車の中で、滋賀県の瀬田の川のそばに、東洋レーヨンの滋賀工場がありますが、その工場の庭の芝生が実にりっぱなんです。一本も雑草がはえていない。工場といえば、およそ少々草がはえておっても、工場ならそんなものだろうというところでしょう。しかしながら病院の庭が草ぼうぼうで、そうして片方工場の庭がそのように芝生の美しいのを見て、私は日本の医療行政の実体というものがここにあるなと、つくづく思ったのです。
視察個所は関西電力尼ヶ崎第二火力発電所、大阪ソーダを中心とする尼ヶ崎の工場地帯陥没状況、神戸の阪東調帯ゴム工業、新三菱重工神戸造船所、神戸製鋼所本社工場、神戸市長田区の公設、私設市場、大阪の通産省輸出工業品検査所、スケーター万年工場、島野工業の自転車部品工場、鈴蘭ミシン製造工場、十津市の東洋レーヨン滋賀工場、それから京都の西陣織物会館及び西陣の零細織物工場、清水の藤平陶器有限限会社等であります。
○栗山良夫君 結城議員並びに私は七月一日から同月八日までの間に亙りまして企業合理化促進に関し、又地方の産業経済一般を調査するために出張をいたしたのでありまして、その間東洋レイヨン滋賀工場、神戸の阪東ゴム調帯株式会社、同じく兵庫県にあります富士製鉄の廣畑製鉄所、岡山の倉敷レイヨン倉敷工場、同岡山工場、愛媛にあります別子鉱業の四坂島精錬所、同じく新居浜精錬所、四国機械株式会社、日新化学新居浜工場、日新化学菊本工場