1995-02-08 第132回国会 衆議院 地方分権に関する特別委員会 第3号
また、五月二十日には火口に初めて溶岩塊が出現いたしまして、二十四日以降火砕流が頻発するようになり、次第に到達距離も延びてまいりました。 それから二週間後の平成三年六月三日午後四時八分に発生した大規模な火砕流では、死者、行方不明者四十三名、負傷者九名に上り、また、多数の住家等を焼失するなど大惨事となりました。
また、五月二十日には火口に初めて溶岩塊が出現いたしまして、二十四日以降火砕流が頻発するようになり、次第に到達距離も延びてまいりました。 それから二週間後の平成三年六月三日午後四時八分に発生した大規模な火砕流では、死者、行方不明者四十三名、負傷者九名に上り、また、多数の住家等を焼失するなど大惨事となりました。
雲仙岳の火山活動は、昨年十一月十七日の噴火以来しばらく小康状態を保っておりましたが、本年に入ってから再び活発化し、特に五月以降は土石流、火砕流の発生が相次ぎ、六月三日には雲仙・普賢岳の地獄跡火口で大規模な火砕流が発生し、高熱のガスを伴った溶岩塊がふもとの島原市北上木場町、南上木場町をのみ込み、三十五名の方々が犠牲となり、今なお四名の方が行方不明となっております。