1954-04-03 第19回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第17号
従つて、名義の変更のできない事情は、この前申し上げました通り、これは高源重吉氏の名義になつております。それを、私が経営を引受ける前に銀行にその土地、建物が担保に入つております。それが、貧乏会社でありまするために、今日まで漸次なしくずしに銀行へ消却しておりまして、今はわずかな金でございますが、それがためにいまだに名義が変更になつておらない。
従つて、名義の変更のできない事情は、この前申し上げました通り、これは高源重吉氏の名義になつております。それを、私が経営を引受ける前に銀行にその土地、建物が担保に入つております。それが、貧乏会社でありまするために、今日まで漸次なしくずしに銀行へ消却しておりまして、今はわずかな金でございますが、それがためにいまだに名義が変更になつておらない。
○天野委員 それから、あなたは、児玉氏を通じて高源重吉氏に百五十万円の金を渡した、このことを御存じですね。——そうすると、そのほか伊藤から児玉に渡つた金が一体どのくらいあるか、あなたのお知りになつておる範囲でお話願えれば幸いだと思います。
新聞社の関係といたしまして、児玉さんの手を通じて高源重吉——元の社主に対する敬意を表した百五十万円は存じておりますけれども、児玉さん対伊藤さんにおける金銭の関係は私は何ら存じておりません。
○塚原委員長 伊藤斗福君が、新夕刊新聞社の大株主になつたのを機会に、先ほど名前が出た三浦義一君、高源重吉君、あるいは児玉誉士夫君などに、あいさつとして千五百万の金を贈つたういこととを聞いておるのですが、こういうことはあつたのでしようか。
○山崎証人 秀花における金一封は、八百万円が三浦義一あんに百五十万円は土地建物の名義人になつております高源重吉に児玉誉士夫さんを通じては渡したのであります。これは私の手から渡したのでなくして、伊藤斗福さんから三浦さん、児玉さんに渡されたのであります。ただ、私はその席に立会つたことは事実であります。
高源重吉氏であります。
一千五百万円は、伊藤理事長が同社の大株主となつたのを機会に、元の新夕刊の所有者であつた三浦義一、高源重吉、児玉誉士夫の三君へあいさつとして金一封を贈呈したものであるらしい、千五百万円合わぬ金はそれじやないでしようかと新夕刊の方から当委員会に報告して来ているのです。
しかし、ごらんになつたことがないというなら、さらに伺いたいのですが、あなたは三浦義一あるいは兒玉譽士夫、山崎一芳ないしは高源重吉、吉田彦次郎あるいは丹羽五郎というものとお会いになつたことがあるかどうか、この点を一点伺いたい。保全経済会のことでですよ。
これは、ただいま申し上げました中曽根氏関係とは別途に、終戰直前より直後にかけて、緑産業株式会社社長吉田彦太郎、元新夕刊新聞社長高源重吉、旭工機株式会社社長杉山嘉市、元貿易商青木勇の四氏より、合計金六百五十万円が辻氏に献金せられたものであります。右四氏の辻氏に対する献金について、献金者等は、あるいは辻氏の生活援助のためとか、あるいは漠然と提供したとか述べております。
健吉君 徳田 球一君 委員外の出席者 議 員 鈴木 仙八君 辻嘉六氏をめぐる政治資金の問題について出頭 した証人 原 玉重君 高木 松吉君 草場 一平君 西田 當元君 中島 次雄君 高柳 泰壽君 渡邊 治湟君 高原 正高君 松岡 松平君 吉田彦太郎君 高源 重吉君
調書によりますと、辻嘉六氏は昭和二十一年から二十二年十月までの間に、緑産業株式会社社長吉田彦太郎から三百万円、新夕刊新聞社社長高源重吉から百万円、熱海市の貿易商青木勇から百五十万円、旭工機株式会社、これは横浜にありますが、社長杉山嘉市から百万円、これと先ほどの中曽根幾太郎からの二百五十万円、会計九百万円受取つておるのでありますが、今明らかにされつつあるのは、中曽根幾太郎から受取りました二百五十万円だけでありまして
それから引続いて今研究しましたところの吉田彦太郎、高源重吉、青木勇、杉山嘉市、そういう人たちを喚問いたしたいと思います。なお河野一郎はすでに喚んであります。松本松平氏、これも一應ただいま喚んであります。証人の取調べが済んだ後に喚びたいと思います。さよう決したいと思いますが、いかがでしようか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○武藤委員長 それでは今の辻本人の訊問は別としまして、吉田彦太郎、高源重吉、青木勇、杉山嘉市、松岡松平、この五人を七日に呼ぶことにいたします。