2004-04-06 第159回国会 参議院 文教科学委員会 第8号
これは、その前身でありました湯川記念館の、あるいは湯川研究所の助手の人事からそのことが行われていたところであります。 このような研究者の任期制は日本の大学でも例の少ないことでありました。問題は、特に国立大学では教育公務員特例法に反することでありまして、言わば紳士協定で行っておりました。
これは、その前身でありました湯川記念館の、あるいは湯川研究所の助手の人事からそのことが行われていたところであります。 このような研究者の任期制は日本の大学でも例の少ないことでありました。問題は、特に国立大学では教育公務員特例法に反することでありまして、言わば紳士協定で行っておりました。
これを顕彰して一九五七年、京都大学に湯川研究所が創設されました。その際も日本学術会議、特に原子核特別委員会の援助が極めて大きなものでありました。初めは京都大学のみのものでございましたが、日本じゅうの素粒子原子核理論の研究者がここをメッカとして集まってまいりました。私もその一人であったわけであります。
なおこれは少し問題がこのウイルスの研究所ということとはずれて参りますけれども、この研究施設を共同で利用するという場合に、たとえばその一例として基礎物理の研究をしていらっしゃる湯川研究所にも私参りましたときに、特に強い御要望がございましたが、それは外国からはしばしば日本の研究者が向うの金で招聘されて研究の便が与えられているけれども、日本でそれをしようとしても今までにはそういう道が開かれておらなかった、
極端な例でありますが、京都大学の湯川研究所のごときは、昨年度大体一人当り月三百円の研究費しかない。三百円といいますと、アメリカの単位にしまして大体八十五セントぐらいにすぎないのでありますから、これでは子供の小づかいにもならないものをとつておるわけであります。これは研究者自身が非常に嘆いている、こういう状態が方々にあるのです。
○武谷参考人 湯川研究所というのではなしに、大阪大学の湯川研究室——つまり大阪大学の講師を湯川さんがしておられまして、助教授におなりになられました。そうして講師、助教授の時代にそこの無給副手でございますが、副手をしておりました。補助といつても、湯川さんにいくらか研究費が来ておりました。
○鍛冶委員長 それについて承りたいのは、何かこの間の新聞に、京都大学において湯川研究所をつくるとかいう計画があるということが出ておつたのですが、さようなことをお聞きになつておりますか。
○木村(榮)委員 武谷さんが湯川研究所の副手をおやりになつていたとおつしやいましたが、当時はその研究所は国家あるいは政府機関から相当の補助なんか受けていましたか。
またこれは確定いたしませんので、はつきりしたことを申上げられませんが、湯川研究所というような形におきまして、相当の新らしい予算で以て理論物理学研究施設の充実、研究の促進というような方面で何らか記念事業をやりたいという計画で進めております。