1988-08-26 第113回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号
次に、島根県浜田市では、七月十五日の日雨量が三百九十四・五ミリに達し、五十八年七月二十三日の山陰豪雨災害発生時の三百三十一・五ミリを上回る浜田測候所開設以来の未曾有の集中豪雨に見舞われましたが、市当局はいち早く河川はんらん、山腹崩壊のおそれのある地域に対し、サイレンや防災行政無線により警告、避難命令を出し、住民の安全を期し、住民も山陰豪雨災害の教訓を生かし適切な行動をとったため、人的被害を最小限に食
次に、島根県浜田市では、七月十五日の日雨量が三百九十四・五ミリに達し、五十八年七月二十三日の山陰豪雨災害発生時の三百三十一・五ミリを上回る浜田測候所開設以来の未曾有の集中豪雨に見舞われましたが、市当局はいち早く河川はんらん、山腹崩壊のおそれのある地域に対し、サイレンや防災行政無線により警告、避難命令を出し、住民の安全を期し、住民も山陰豪雨災害の教訓を生かし適切な行動をとったため、人的被害を最小限に食
それからやはり異常気象につきまして特に触れたわけでございますが、まあ茨城、栃木、静岡、愛知、鳥取というふうなところにつきましては、確かに五十三年の高温少雨というのは測候所開設以来初めてというふうな例もあるぐらいひどいものであったわけでありますが、そのところにおきまして一茨城ですと五十二年にこれは二万七千の被害が五十三年に七十四万二千と、こういうふうな二十八倍にも及ぶ被害が出てまいっておりますし、栃木
そういう中で、高知県の宿毛というところでは、四月二日の夜半に測候所開設以来四月としては史上二番目の集中豪雨を観測したわけです。自主宿直の当番者が直ちに高知地方気象台へ連絡をし、その結果すぐ大雨洪水強風波浪注意報というのが発令されるということがありました。
また三島市におきましても、一日二十四時間の雨量が約三百ミリ、一時間の雨量が六十四ミリという非常に大きなものでございまして、それぞれ三島測候所開設以来二番目、三番目というような記録でございます。まさに異常気象と申すべきであろうと思います。
七月十一日ごろ、三陸沖から山陰沖にかけて停滞していた梅雨前線上を小さな低気圧が次々に東進したため、低気圧の進路に当たった能登地方では、十一日夜半から十二日の昼過ぎにかけて大雨となり、総雨量は、輪島で測候所開設以来の二百三十四ミリを記録したほか、各地で二百ミリをこえたのであります。
さらに、福岡なんかにおいては、測候所開設以来の雨量であります。連日日照時間はなかった。非常な減収であり、収穫皆無ということで、非常な期待を農業者は政府にかけているわけでありますから、期待に反せぬように、ひとつ今答弁のありましたように、あるいは希望のあったようなことを、あとで予算が足りなかったなんということで非常に農家を困らせることのないように、切にひとつ御配慮をいただきたいと思います。
調査の順序に従いまして、まず、長野県の県下の災害の実情から申し上げますと、六月二十二日夜より降り始めました雨は、七月一日朝まで降り続き、前線が南北に振動したため、旬日にわたって豪雨の波状攻撃を受けたのでありまして、梅雨前線の活動によるものとしては各地とも記録的なものとなり、飯田市では一日の雨量が三百二十五ミリにも達し、これは明治三十一年測候所開設以来のものであって、このため県下の河川が増水いたしましたが
このため北海道には気象的な意味で夏の訪れがなかったことになり、測候所開設以来の低温寡照の天候であり、作物成育の限界である摂氏十五度を下る日がしばしばあったのでございます。 以上のような不順な、いわゆる凶作型の気象条件でありましたので、当然農作物の成育に及ぼす影響は大きかったのであります。
九月一日現在の報告によりますと、七月の日照時間は北海道東北部においては、測候所開設以来少いという記録を示しておるのでございます。従って七月から八月にかけまして、名句の平均気温は平年に比較しまして二度ないし四度低く、日照時間は各旬二十時間ないし四十時間少い。そのために、各種農作物の生育が非常に悪い。
今次の豪雨は二日間に亙りまして七百九十五ミリを超える雨量でございまして、熊本測候所開設が明治二十二年でございますが、開設以来曾つてない雨量を見たわけでございまして、これは熊本県の平均雨量の約半年分がこの二、三日のうちに降つた計算になるのでございます。
ことに亀岡地方においては、最大時間雨量六十六ミリで、京都測候所開設以来の豪雨であり、予想外の被害を生じ、また被害もほとんどこの付近に局限されている状況であります。