2011-05-19 第177回国会 参議院 厚生労働委員会 第10号
大町病院百八十八床、小野田病院百八十九床、渡辺病院百七十五床、約八百床存在していたんですけれども、これが震災、原発事故以降、いずれの病院も原則として入院が停止されてしまいました。南相馬市の病院では、入院患者の方々が全員、転院搬送されたということでございます。
大町病院百八十八床、小野田病院百八十九床、渡辺病院百七十五床、約八百床存在していたんですけれども、これが震災、原発事故以降、いずれの病院も原則として入院が停止されてしまいました。南相馬市の病院では、入院患者の方々が全員、転院搬送されたということでございます。
ところが、今、例えばどこの県でも同じかもしれませんけれども、その境界域、境界値に近い人もある病院に、例えば渡辺病院に通っていると。合併症寸前の人も通っていると。また別なB病院には同じように通っていると。言わばばらばらな状況が現状としてあると思います。
渡辺病院長は、病院に通知のあったのが一時間後であった、もう少し早く知らされたらば、こんなこともなかったものをという新聞記事を見ましたが、その救助に関する方法として何か御報告はありませんか。
一行は一日東京発、一路函館に向つたのでありますが、途中連絡船第十二青函丸について航送船の構造及び設備等に関し実地調査を行つた上、二日午後函館に到着、直ちに七重浜、国鉄職員集会所、慰霊堂に遭難死没者の霊を弔い、渡辺病院に生存者を慰問した後、菊川、富吉両代議士御遺族に弔意を表しました。