1982-07-06 第96回国会 参議院 外務委員会 第13号
一度増強してから次に少しずつ縮小していくんだと、こういう記事が出たものですから渡辺参事官は、それは真意でないということでまたその翌日投書なすっている。しかし、少なくともニューヨーク・タイムズというような有力な新聞が、鈴木演説をレーガン政権の認識に同調したものという解釈ができるようなとらえ方をしているということ、これは事実なんです。
一度増強してから次に少しずつ縮小していくんだと、こういう記事が出たものですから渡辺参事官は、それは真意でないということでまたその翌日投書なすっている。しかし、少なくともニューヨーク・タイムズというような有力な新聞が、鈴木演説をレーガン政権の認識に同調したものという解釈ができるようなとらえ方をしているということ、これは事実なんです。
外務省情文局の責任者である渡辺参事官の説明によれば、「日本は軍事予算を増額しているが、勢力均衡と戦争抑止のため必要なものであり、新たな均衡がとれたときは鈴木総理の言うところの軍縮のプロセスを開始することができるのだが、現在の環境では軍備削減はできない」という説明に相なっているのであります。この姿勢は、まさに「軍縮の前に軍拡」というレーガン政権の見解と軌を一にするものであると言わなければなりません。
○国務大臣(櫻内義雄君) 国連軍縮特別総会における総理演説と外務省の渡辺参事官の説明についてのお尋ねがございました。 国連軍縮特別総会における総理演説は、軍縮、とりわけ核軍縮への日本民族の悲願を率直に披瀝したものであります。
渡辺参事官、論理的にわかりますか。私の言っていることが正しいわけで、あなただって十分答えができないわけなんですね。答えにくいのでしょう。何かさっき、勝手にやったことだということには同意をされて、論理的にはそうなりますということに同意をされて、それじゃ主権侵害になるじゃないかと言ったら、少し詰まってしまった。
もちろん、事情聴取ということですからそれなりの調書があるわけで、これは非常に証言力もあるものだ、私はこういう認識を持つのですけれども、渡辺参事官、警察庁は、現職の公使からも事情聴取をしたそれほどまでのこの事件、ただ死刑が無期に変わった、そのことだけでわが国はもうこれはおしまいなんだという外交姿勢でいいのであろうか、ここなんですよ。
それじゃさらに私は、韓国側が勝手に独自でやられた、渡辺参事官の論理的な理解、これは当然だと思いますし、私もそういう理解をしているわけです。そこで私は、それは韓国がわが国で韓国の公権力を行使したということに論理的にはなるのではないか、こういうことなんですよ。いかがですか。
○戸叶武君 いま渡辺参事官の御答弁は、すでに新聞等においても伝えられておりますが、あのとおり最初のショックとは違って、あるところまで具体的成果が出てきたのでしょうかどうでしょうか、その辺はまだもやもやした点がありますが、中国と日本との具体的な調整段階における成果について、お話しできる部分は、簡単でいいですが、具体的に説明願いたいと思います。
○稲嶺一郎君 いま真剣にタイの問題について考えておられるということは、渡辺参事官の御意見でわかりました。どうかタイに対して日本との関係あるいはアメリカとの関係あるいはASEANとの関係あるいはビルマとの関係等を勘案しながら、最も効果的な実のあるような施策を遂行していただきたい。
で、渡辺参事官は、離日後も韓民統の議長という身分を維持したということがそれに問われていると判断すると、こう言われまして、外務大臣も、これは政治決着には違反しないと思うということを言われました。そうしますと、金大中氏の死刑判決の根拠は、日本にある韓民統という団体と金大中氏との関係が死刑判決——国家保安法違反となったと、そういうことになりますか。
調べましたところが、そのときにおられた方はだれかといいますと、大蔵省の主計局の次長をしている長岡實さんと、それから防衛庁の島田事務次官と、そしておたくの国防会議の渡辺参事官、この三人はわかった。あなたは至るところに五、六人の方がおられた、こう言われておるわけですね。その五、六人の方はだれとだれとだれでしょうか。
ただ、渡辺参事官に聞きましたところでは、後藤田さんもそこにおりましたが、間もなく自席に帰ったと、それからその他の方々も自席との間を行ったり来たりしておったように思うと、こういうふうなことは言っております。
高橋次長からも御説明を申し上げたのだと思いますけれども、十月九日のPXLの国産化を白紙として今後輸入を含めて専門家の意見を聞いて検討するという意味の了解事項は、私の記憶では、大蔵省は相澤主計局長とそれから当時次長でございました私がおりまして、それから国防会議の事務局は海原事務局長は説明の責任者でございますから、もう少し閣僚に近い席におられまして、たしか渡辺参事官でございましたか、当時の参事官が一人おられました