1953-03-05 第15回国会 参議院 文部委員会 第17号
従つて越中島の校舎が清水商船大学のために開放されるという時期の見通しについては、私は保安庁当局と文部当局との交渉”おいて明確化されていなければならないと思いますのに、高橋委員の質問に対しては極めて漠然たる答弁であつて了解に苦しむ点があるのでございますが、保安庁当局と文部省は如何なる交渉を持つているのか、その清水商船大学のために開放される時期をいつと目標を立てておられるのか、その点明確にして頂きたい。
従つて越中島の校舎が清水商船大学のために開放されるという時期の見通しについては、私は保安庁当局と文部当局との交渉”おいて明確化されていなければならないと思いますのに、高橋委員の質問に対しては極めて漠然たる答弁であつて了解に苦しむ点があるのでございますが、保安庁当局と文部省は如何なる交渉を持つているのか、その清水商船大学のために開放される時期をいつと目標を立てておられるのか、その点明確にして頂きたい。
○高橋道男君 先ほど相馬委員から御発言があつたのですけれども、神戸商船大学に関連しまして、清水商船大学これは神戸の設立のときに希望をしておつたのですが、商船大学が二つできることによつて、従前からある大学の整備を遅らしてはいけないということを希望しておりましたが、清水のほうに対してはどういうような操作になつておりますか。
それにつけても私は大臣にお伺いするのですが、私は清水商船大学は見たことはありません、学生諸君の人たちに会つたことはありますが……。これは学生諸君は納得できないのですね。自分ら清水に入れないと……そうして自分らの校舎というものは外国軍隊から接収されておる、まあ占領されておるのだからいたし方がないと諦めておつたところが、四月二十八日独立すると同時に返えるだろうと思つておつたところがすぐ返えらない。
できたことは結構でございますが、併しできた以上は神戸の商船大学も、清水の商船大学も本当に海に乗出して行ける高級船員の養成ができるようにしなければならないわけですが、そこで大臣にお伺いいたしたい点は、越中島にある、今保安庁の入つておるところの曽つての東京高等商船学校の校舎、これを清水商船大学の教育施設として確保することについて大臣は今までどういう努力をされたか、なお今後如何にこれを処理されようとされているかの
私就任早々この清水商船大学の校舎の問題でございますが、いろいろ事情も伺いまして希望といたしましては越中島の元の商船学校のあとへ帰りたいと思い、又文部省もそれを推進しておりますというようなことを伺いましたものですから、ところがそれが保安隊ですかが入つておるという、そこでできるだけ一つ元の学校に返してもらいたいということを保安庁長官にも話しまして、そうして今すぐ行く先がないからこれをできるだけ早く一つやらなければならん
十一件(小林進君紹介)(第三二三八号) 一九三 高等学校における家庭科目を女子必修科 目に加入の請願(小澤佐重喜君紹介)(第 三二五四号) 一九四 大島郡十島村内小中学校兒童に対する教 科用図書給與の立法化等に関する請願(二 階堂進君紹介)(第三三〇五号) 一九五 東京芸術大学音楽学部校舎改築に関する 請願(水谷昇君外三名紹介)(第三三四一 号) 一九六 清水商船大学
同日 清水商船大学存置並びに施設拡充に関する陳情 書(第二四〇五 号) 義務教育費国庫負担法に関する陳情書 (第二四 〇六号) を本委員会に送付された。 ――――――――――――― 本日の会議に付した事件 義務教育費国庫負担法案(竹尾弌君外十四名提 出、衆法第四〇号) ―――――――――――――
泰良君 浦口 鉄男君 小林 進君 出席国務大臣 文 部 大 臣 天野 貞祐君 出席政府委員 文部事務官 (調査普及局 長) 久保田藤麿君 委員外の出席者 専 門 員 石井 勗君 専 門 員 横田重左衛門君 ――――――――――――― 六月九日 清水商船大学
こういうような教育機関が同じ場所、同じ建物の中で教育を行われておるという点につきましては、よほど意を払わないというと、私は由々しき事態が起ると考えまするので、その管理運営の面に十分の助言と指導とを与えて頂きたいと同時に、神戸商船大学と清水商船大学の対立意識の緩和につきましても、然るべき処置を強く要望する次第でございます。
ただ本法案の成立によりまして、文部省の教育行政に対しまして、全く経済的の圧迫を加えないということと、なお清水商船大学に対しましても、今後なお一層の設備充実に留意されんことを附言いたしまして、賛成の意を表するものであります。
○矢嶋三義君 局長今大臣そういうふうに説明されたわけですが、文部省ははつきりと清水商船大学は将来二百四十のこの大学の構想で行くということを指示してそれで来ているはずなんですよ、間違いありません。同時に昭和二十六年度の入学生は二百名入れてよろしいと言つて許可して二百名入れたじやございませんか。
それからもわかりますように、曾つての神戸高等商船学校の後身が神戸商船大学であり、東京高等商船学校の後身が清水商船大学であるといつたような形になつた場合に、先輩、後輩の繋りで、今閥が消えようとしておる場合に、更に昔の閥というものを再び引き起すものではないか、これが海運界にどういう影響があるかということについて、私はさつき申上げたように、聞いた程度でありますが、それらの点についてはどういうふうにお考えになつて
こういうような問題は先ずさておいて、先ほどから荒木さん、相馬さんによつて指摘されているように、清水商船大学の内容というようなことについては、相当文部当局にも頭の痛い点があるにかかわらず、優先的にむりむりにこういうふうな予算を組まれたということについては私は非常に解きやらぬものを持つているのであります。そこで私を解くに足るだけの御答弁を文部当局からして頂きたいと思います。
があられたように考えておるのでありますが、こういうことは伺つてもむだかと思いますけれども、新たに商船大学を設立されたに伴つて、増大して行く国家の費用のために現在あります清水の商船大学の内容充実にいささかも私は支障が来されてはならないのであつて、将来は現在までとられておつた商船大学に対する予算の四倍並びに五倍というような額を私はむしろ必要とするものであると思うのですが、近い将来において内容が充実し得ないあの清水商船大学
具体的に申上げますと、最近神戸商船大学の新設というような問題が起つて来ておるようですが、これに対しまして私どもも若干関心を持つて勉強しておりますし、ここで是だとか、非だとかいうことは私は発言する段階に参つておりませんが、この大学の新設のごとき、或る段階には私は文部当局は造船計画と船員の需要計画あたりから言つて、清水商船大学を育てて行けば、それで十分だというような御見解を文部当局が持つていらつしやつたということは
また第六国会において清水商船大学の実現に続きましてなるべく早く海技専門学院を大学とする旨の希望条件が議決せられておるのであります。また右決議に先だちまして当時の文部省の平島政務次官、また同じく劔木大学局長、運輸省の山口船員局長よりも、右の希望にまつたく同感である旨の意思表示が行われておるのであります。