1994-06-21 第129回国会 参議院 法務委員会 第4号
そして、うちの町にそれができてトラブルも起きない、よその県から来た方なんだが、出てこられた方がたまたま三カ月、半年この町にいらっしゃる、その方と日常的に仲良くなっている、町でもにこにこ笑っている、町の運動会にも出てこられるというようなことが自然に行われるようになって、浦和の清心寮はいいものだと浦和の市民が思うようにどう市民的な活動の中でつくるかということが大事だと思うんですね。
そして、うちの町にそれができてトラブルも起きない、よその県から来た方なんだが、出てこられた方がたまたま三カ月、半年この町にいらっしゃる、その方と日常的に仲良くなっている、町でもにこにこ笑っている、町の運動会にも出てこられるというようなことが自然に行われるようになって、浦和の清心寮はいいものだと浦和の市民が思うようにどう市民的な活動の中でつくるかということが大事だと思うんですね。
その方が清心寮の会報にことしの正月に「年頭雑感」として言葉を寄せられているんです。保護局長をやられた方が、今、清心寮の理事になって具体的に地域の一人としてお世話をしているんですね。この文章、感銘しますよ。
○政府委員(杉原弘泰君) 先ほど浦和の清心寮に関して深田委員から御質問があった際にも出たことでございますが、この保護会につきましては、残念ながら迷惑施設であるということで、この施設を新築あるいは大幅に改築する、移転するという段になりますと、やはり地域住民の一部から強い反対があるということが時として起きるわけで、そういうことに対して平素から私どもが機会をとらえて、例えば本年の七月一日から法務省が主唱して
それから、委員お尋ねございました、つい最近できた施設はあるかということでございますが、昭和六十二年十一月に埼玉県の浦和市にございます財団法人清心寮というのが、最も最近設立された新しい保護会でございます。この更生保護会の収容定員は、家庭裁判所で保護処分に付されました少年の男子五名と、それから成人の男子十八名の合計二十三名であります。
埼玉県の方の問題につきましては、昨年の十一月末に財団法人清心寮という財団法人が設立されまして、この民間人のボランティアによります財団法人が主体となって、ただいま問題になっております更生保護施設を建設する準備を進めておりますが、地元の方たちから更生保護施設をつくってもらうのは困るという反対が寄せられております。
○岡元義人君 「いわゆる吉村隊の惨状として傳えられましたる作業量完遂の不能のため受ける処罰は、これを大体三種に区分することが明らかにされたのでありまして、その一つは、特に作業現場等における毆打等の暴行、それに清心寮と名付けられた留置場留置及び夜間における屋外留置でありまして、この夜間屋外留置が曉に祈ると称して抑留間より隊員に恐れられた刑罰であつたのであります。
後全然名前の知らん人が相当收容所に清心寮に入り切れないで立たせられた者が相当あるように思います。
○天田勝正君 では、あなたは將校室において、直接吉村隊長がそうした作業から遅れて帰る、つまり皆が帰るまでにノルマが上らない、そういう人が遅く帰つて來た場合に、お前はいわゆる屋外留置、つまり「曉に祈る」とか、或いは清心寮に入れるとか、こういう刑罰の申渡しをするところを聞いたことはございますか。
○永井証人 その二人の方に関しては知らないのでありますが、ただ能率の上らない者その他に対して清心寮に入れたというようなことはあつたのであります。
○天田勝正君 清心寮ですが、これは後ほど採上げられる重大な問題でありまするので、もつと晴心寮の説明については一つ詳しくお述べ願いたいと思うのです。例えば傳えられるところでは、天井は全然ないとか、雪が吹込むとか、いろいろ言われておるわけですが、一体どのような設備になつておりましたか、詳しく……。
○証人(君島甚五郎君) それについて南雲というのが、曉に祈る、くくられはしなかつたですけれども、清心寮に入れられてですね。それで出て來てから亡くなつた人があります。
一番最後に清心寮というものが設置されましたのですが、吉村氏が清心寮というものを書きました。それは最も最後であります。その前が私の入りました廣さ……。先程も申しましたのですが、そういう所、その前が後に大工の工場になつた所、その前がいわゆる新聞紙上に傳えられておるところの恐怖の電柱でありまして、段階が違うのであります。