2005-08-01 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第11号
平成七年一月十七日午前五時四十六分、震度七の激震が、神戸市や淡路島北部を襲った。ガス、電気、水道、電話などのライフライン、交通網も寸断され、港神戸は壊滅状態、震源地の淡路島、近隣の西宮、芦屋、宝塚、豊中市などにも被害が及んだ。 戦後最大にして最悪の規模となった阪神・淡路大震災。警察、消防の公的機関はもとより、一般企業からも多くの人と資金が投入された。
平成七年一月十七日午前五時四十六分、震度七の激震が、神戸市や淡路島北部を襲った。ガス、電気、水道、電話などのライフライン、交通網も寸断され、港神戸は壊滅状態、震源地の淡路島、近隣の西宮、芦屋、宝塚、豊中市などにも被害が及んだ。 戦後最大にして最悪の規模となった阪神・淡路大震災。警察、消防の公的機関はもとより、一般企業からも多くの人と資金が投入された。
これに基づきまして、これが将来一つの予知の有力な方法になり得るという可能性を探るために、今回第一次の補正予算によりまして淡路島北部に観測網を展開しようとしておるところでございます。
先生御指摘のように、これらの実験は比較的ノイズの少ないところから始めることが当然必要かと思ってございまして、その意味では、今回淡路島北部を実験のフィールドとして選定いたしましたのは、先ほど申し上げましたように現実に断層付近のストレスが現在もあるということと余震が続いているということ、それからまた大都市周辺と違いましてこの地域では比較的ノイズが少ないであろうということも想定いたしまして、ここで実験的な
横浜市大の菊地正幸教授が調査した上で発表された見解によりますと、淡路島北部の震源地で最初地震が起こってから五秒後、野島断層に飛び火するというか、移っている。そして野島断層に拡大されて、そこからまた五秒後に今度の神戸の地下の部分のところに新しい断層の活動の動きがあった。
それから、昭和三十七年、淡路島北部。今度も淡路島は非常に近かった、北部ですね、あそこ。まさに今度の震源地であります。北部を震源地として起こっております。昭和二十七年、さらにさかのぼること十年の昭和二十七年に、瀬戸内海東部ということで明石を震源に地震が起こっている。その八年前の昭和十九年には、兵庫県南部、今度と一緒です。西区でさらに起こっておるんですね、西区を震源地として。
まず、陸上自衛隊は、地震発生直後の一月十七日七時十四分に中部方面航空隊のOH6一機を八尾駐屯地より発進をさせ偵察活動を行い、神戸付近にて約二十カ所から煙が上がっていること、淡路島北部における家屋の倒壊の状況、高速道路の倒壊の状況等を目視により確認し、帰投後直ちに中部方面総監部に対してこれらの情報について報告を行ったところであります。
現地の被害調査のこれまでの取りまとめ結果によりますと、神戸市三宮付近、淡路島北部の一部地域では震度七であった、このように認められております。この地震は、活断層が急激にずれて発生したタイプの内陸の浅い地震、いわゆる直下型地震であると考えられております。
淡路島については、震源地に最も近く被害の大きい淡路島北部の北淡町では、死者三十八名を出し、至るところ瓦れきの山となっていました。 王子陸上競技場に着陸後、小川神戸市助役、江口港湾局長から神戸市の災害の概況を聴取しながら被災地を視察いたしました。
まず第一に、OH6二機、これが被害の状況を把握をいたしまして、神戸付近から二十カ所煙が上がっていること、淡路島北部における家屋の倒壊、高速道路の倒壊の状況を目視により確認をいたしまして、この情報は中部方面総監部に対して行われております。
だから、淡路島北部の住民はそこへ頼らざるを得ないというような状態で、しかも、いま私が読み上げたような受け入れ体制である。だから、そこでの職員の願いは——ここは救急患者の処置室もないわけなんです。だから、外から来た救急患者の処置を病棟でやっておる。だから、処置室をぜひ確保してほしいというのが職員の願いであるわけなんです。