1965-08-10 第49回国会 参議院 法務委員会 第3号
その結果、パトカーで淀橋署に連行され、公選法違反容疑で留置、送検され、七月二十二日釈放された。この日、自宅を捜査された。 こういう事件が起こっておる。これは違反者を検挙するのではなくて、しいて言うならば、おとり戦術で違反者をつくろう。これは違反ではないと私たちは思いますよ、この程度のことは。
その結果、パトカーで淀橋署に連行され、公選法違反容疑で留置、送検され、七月二十二日釈放された。この日、自宅を捜査された。 こういう事件が起こっておる。これは違反者を検挙するのではなくて、しいて言うならば、おとり戦術で違反者をつくろう。これは違反ではないと私たちは思いますよ、この程度のことは。
もちろん、寝食を忘れ、家庭の団らんも犠牲にし、薄給に甘んじて、日夜暴力団の根絶のために文字どおり必死の活動を続けている淀橋署の戸沢部長刑事のように、信念と気魄の権化のような人物のあることを知り、われわれは心からこれを感謝するものでありますけれども、しかし、このような特定の人物の活動が、単に部分的に懸命に続けられようとも、警察・検察の機構全体にその気魄と信念を裏づけした組織的活動力がなければ、これらの
私は、最近の新聞で、寝食を忘れ、しかも家庭を忘れて薄給に甘んじ、靴をすり減らし、足を棒のようにして日夜暴力団の根絶のために活動をしているといわれる淀橋署の戸沢清部長刑事のように、信念と気魄の権化のようなりっぱな人物のおることを知って、実に愉快に感じたのでありますが、しかし、法務大臣や公安委員長自体がこの委員会において見せられたこれらの片言隻句からうかがわれるそういう気魄は、首脳部でさえもそういうことであるのだから
そこで、それをはさんで相対峙するということになりますわけでございまして、そういう意味で、淀橋署としては、自署の警察官並びに機動隊の応援を求めて、四百七十名、お話のように、五百名近い警察官が現場に出たように聞いております。
私どもはかつて淀橋署がボスのために相当あやつられて腐心された。当時あそこは新聞記者は歩けぬほどだつたのに、生命を賭してまでボスと闘つていただいて、あそこはよくなつたと思つておつたが、また前と同じことになつて、暴力団が約十五、六名、名前はわからぬでしようが、あなたの方ではそれを検挙できないのです。
一つ大事なことを落しましたが、淀橋署の者がかねてから鹿地亘氏の留守宅を絶えず見まわつておりましたが、今朝九時に、例のごとく鹿地亘氏の留守宅に参りましたところ、家人より、御主人は昨夜の十時に帰宅せられた、但し非常に疲労しておられるのでどなたにもいまだ会いたくないと、これは九時現在のお話であります。
○田中参考人 淀橋署の取締りの方針でございますが、これにつきましては、常に本庁の指示によつて取締りをし、また署長独自の考えから再三再四取締りをいたしておつたのであります。しかしながら、先般の新聞紙にあるがごとくに、取締りが不徹底である、かような御批判を受けたのであります。もしかような御批判を受けたといたしましたならば、私はまだあるいは不徹底の点があろうかと考えております。
中にはたとえば淀橋署に対して告訴件数が二百三十件あるにかかわらず、ほとんどこれを取上げておらぬ。そして被害者は淀橋はだめだからというので早稻田警察署に訴えて出るようになつたというような質問書がある。その他詳細にわたつて質問されておりまして、私どももこの答えを聞きたいと思つておつたのであります。しかるに警視総監は回答の要なしとしてお断りになつた。
先般も、新聞で御承知かと思いますが、一週間ほど前にもすでに淀橋署におきまして、こうした街頭における婦女子の客引行為につきましては、これを多数検挙いたしました。ことに売春行為を目的とした客引行為につきましては、嚴重に取締りをいたしております。
どうしてかといいますと、十六日の午後の九時頃家にいますと、丁度呼出しが参りまして、淀橋署へ行つて参りました。事件は何とも言いませんから淀橋署へ行きましたら、十二時半頃今の大谷、及川という二人の刑事が参りまして、実はこれから尾津の保釈後の行動を調査する、明日の朝までやらなければならん。私が淀橋から來たのだから一つ本人の行動のよく取れるところを一つあれして貰いたい。それで以て一緒に行きました。
特に捜査中の重要案件を捨い上げて若干申上げますと、淀橋署管内において巡査の殺人事件がございます。これは昨年十二月二日午後十一時五十五分頃、淀橋の西大久保三丁目の巡査派出所において、同派出所勤務の巡査佐藤三雄(二十歳)、若い巡査でありますが、何者かに左側面から拳銃で狙撃を受けまして即死いたしております。只今同署に捜査本部を設置して、目下鋭意容疑者を取調中であります。