2018-03-23 第196回国会 衆議院 外務委員会 第4号
どのように呼ぶかというのは、安倍総理の進めるものはむしろ平和学で言う消極的平和主義で、同時に、平和学で言う積極的平和というものも含んでいるというようなことを私は申し上げて、消極的平和かどうかについては御答弁はいただけなかったですが、積極的平和主義の中には人間の安全保障を最大限にしていくというような取組も含むものだというような御答弁をいただきました。まさにそのとおりだというふうに思います。
どのように呼ぶかというのは、安倍総理の進めるものはむしろ平和学で言う消極的平和主義で、同時に、平和学で言う積極的平和というものも含んでいるというようなことを私は申し上げて、消極的平和かどうかについては御答弁はいただけなかったですが、積極的平和主義の中には人間の安全保障を最大限にしていくというような取組も含むものだというような御答弁をいただきました。まさにそのとおりだというふうに思います。
憲法九条は、自分が加害者とならないための禁欲的自己規制、これは消極的平和主義ですけれども、憲法前文は、世界平和の貢献者となるための利他的自己犠牲、これが積極的平和主義だと。私は、この前文の精神に従って日本が積極的に平和貢献をすれば、いずれそれがノーベル平和賞の対象になるということは、菅長官が今御答弁されたような趣旨じゃないかというふうに整理すべきだと思っております。
日本は、かつて、一国平和主義、消極的平和主義と批判をされたこともありましたが、誇りある強い日本を取り戻すのが安倍内閣の使命であり、私は、その中核機能がNSCであると確信しています。 塩野七生さんの名著「ローマ人の物語」に、国家にとって最大の責務は国民の安全を守ることであり、それを支えたのは、ローマ市民の負託を受けて軍事、政治両面に責任を持っていた帝王であるとの記述があります。
これまでの日本の外交、ハイチや南スーダンでのPKO、そしてソマリア沖・アデン湾の海賊対処などは、言葉だけの消極的平和主義であったとでもおっしゃるのでしょうか。 これまでの国際貢献の何がいけなかったのか、積極的平和主義によってこれをどう変えようというのか、総理のお考えをはっきりとお示しいただきたいと思います。 先日、韓国政府が、北朝鮮による原子炉再稼働を確認したという報道がありました。
消極的平和主義と言ってもいいと思います。ですから、これは私は憲法改正のときには採用すべきではないと思っております。 もう一方、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」これは私は、名文でもありますし、我々の憲法が目指すべき方向性であると思います。
消極的平和主義であってはならないのです。 これまでの日本の平和主義は、自国が加害者にならなければそれでよしとする消極的平和主義でした。日本は、あれもしない、これもしないという否定形でしか防衛を語らず、平和を論じませんでした。日本は何をしたいのか、するのかは、世界にとって不明であるだけでなく、日本人自身にとってさえ曖昧模糊としたものであり続けてきました。
ただ、平和主義というものを考えた場合に、先生の著作の中に消極的平和主義という言葉があったように思います。 私は、平和主義を考えた場合に、二つあると思います。日本は何もしないんだ、いろいろなことがあるが何もしないんだという平和主義。
PKO法案がその後に通っておりますけれども、我が国が、要するに消極的平和主義に徹していては日本が国際社会の中で十分な役割を果たすことはできないということが、湾岸危機、湾岸戦争で明確になった。その反省に立って、憲法九条についても、積極的な平和主義の立場から、見直せるところは見直そうという議論になってきているのだというふうに私は理解しております。
この言葉によるならば、日本の平和主義というのはただ単に自国が他国に対して加害者にならないという消極的平和主義にとどまるものではなく、日本にその能力が備わったときには、また国際社会がそれを日本に求めるときには、日本は世界の平和のために貢献するという積極的平和主義も内包されていることを憲法前文は示していると考えるわけでございます。