2017-12-05 第195回国会 衆議院 安全保障委員会 第3号
さて、もう一点、防衛省に、同じく十一月九日の日米合同委員会において、「嘉手納飛行場における海軍航空機の運用の移転に係る海軍駐機場の建設について」との件名で、嘉手納弾薬庫地区内への保管庫の建設が合意されております。 かかる保管庫とは、どのような施設でしょうか。従来、嘉手納飛行場前にあった施設の嘉手納弾薬庫地区への移転と捉えてよろしいのでしょうか。保管の対象を具体的にお答えください。
さて、もう一点、防衛省に、同じく十一月九日の日米合同委員会において、「嘉手納飛行場における海軍航空機の運用の移転に係る海軍駐機場の建設について」との件名で、嘉手納弾薬庫地区内への保管庫の建設が合意されております。 かかる保管庫とは、どのような施設でしょうか。従来、嘉手納飛行場前にあった施設の嘉手納弾薬庫地区への移転と捉えてよろしいのでしょうか。保管の対象を具体的にお答えください。
このチェックリストは上の方に数字が付いていますけれども、A1―V22AB―NFM―500とありまして、海軍の訓練マニュアルの一つであって、この表紙ですけれども、記述の中に、海軍作戦部長の権限において、海軍航空システム軍団司令官の指揮の下に作成されたと明記されております。 民間機のパイロットの方にこれを見ていただきました。
そして、米軍は、一月までに海軍航空機の移駐を完了し、既に新しい駐機場での運用を開始しているものと承知をしております。 にもかかわらず、この旧海軍駐機場については、移転後にも米軍機が駐機し、騒音が発生するとの事案が発生していると承知しており、地元の方々に不安を与え、騒音軽減に対する懸念を生じさせるものであり、大変遺憾であると考えます。
このNAVAIRというのは、海軍航空システム司令部で、海軍と海兵隊員の航空機などの研究開発からテスト飛行、評価、修理、整備までを一手に担っている部隊です。 この二〇一五年十二月九日付のニュースリリースによると、富士重工業が、二〇一五年十月に、FRCWP、日本語で訳すと西太平洋艦隊即応センターというふうになるんだと思うんですけれども、そのMV22整備の契約をかち取ったというふうに書かれています。
吉成正一さんという今年九十歳になられる方でありますけれども、十七歳になる一九四三年に海軍航空隊に入って、カメラの腕前を買われて、現在高知県の南国市というところの基地で写真班員の養成、指導に携わったんですけれども、さきの大戦でけがをしたということですけれども、この写真では分かりにくいかもしれませんが、まず、右腕は手から先がなくなっておりまして、そして左目も義眼ということであります。
これは「海軍航空基地第二設営班資料 防衛研修所戦史室」、これは防衛省から探していただいて取り寄せたものです。「電子複写不可」と書いてありますが、これは古い本だから、誰でもコピーしていいものと違いますよという意味ですので。 それで、まず一ページ目を見ていただきましたら、下の方に、右の下の三番目に「慰安所開設」というのがございます。
ところが、オスプレイの開発、改修に責任を持つ海軍航空システムコマンドの報道官が、十月十七日付で、彼らが持っている防衛問題専門のニュースサイト、インサイド・ディフェンス・コムの中で公表しておりますが、その報道官は、フライトマニュアルの修正は来年にかけて行っている試験、分析の結果次第である、このように述べています。
V22オスプレー・ガイドブックというものでありますけれども、米海兵隊司令官が冒頭にメッセージというのを寄せて書いておりまして、そして、一番最後のところには、米海軍航空システム司令部が公表、配布を全面的に認めたということも含めて記されております。
北朝鮮の弾道ミサイル防衛をしたとき、これは日本一国だけでできないわけですから、海上自衛隊と海軍、航空自衛隊と空軍、それぞれ連携して、何しろ発射されて八分で着弾をするわけですから、その間の緊密な連携をとっていかなければならない。そういうことが、政治で幾ら混乱が少しぐらいあっても、やはり現場でそういう連携をとっていることが、この日米同盟の今まで基礎になってきたんじゃないかな、こう思うんですね。
ところが、一九九一年にブッシュ大統領が、米国の水上艦艇、攻撃型潜水艦、海軍航空機から戦術核兵器を撤去するように指示した際にも、通常の状況では艦船は戦術核兵器を搭載しないが、将来の危機に際して必要な場合に利用されると明言をしております。
そもそもアメリカは、一九九〇年代、ブッシュ大統領やクリントン大統領が進めた核兵器削減イニシアチブによって、現在、水上艦艇、攻撃型潜水艦及び海軍航空機に核兵器を搭載しないことを一般的な政策としていることを承知しております。
その後、千歳飛行場は、海軍航空隊飛行場として正式に認定され、終戦までは北方における海軍最大拠点として使用されてまいりました。太平洋戦争終結後の昭和二十七年には、自衛隊の前身であります警察予備隊が当市に駐屯することになり、同年、保安隊千歳駐屯地が開庁され、自来、自衛隊と共存する町づくりが始まりました。
○岩屋副大臣 米軍の運用に関することでございますので、詳細を必ずしも承知しているわけではございませんが、空母着陸訓練を行っている場所として現在公表されているものとしては、例えば、アメリカの東海岸になりますが、バージニア州バージニア・ビーチ市に隣接しているオシアナ海軍航空基地、あるいはフェントレス補助飛行場等があると承知をしております。
一つは、NLP、ナイト・ランディング・プラクティス、着艦訓練についてなんでありますけれども、この中間取りまとめの中に、「日本国政府は、米海軍航空兵力の空母艦載機離発着訓練のために受け入れ可能な恒常的な訓練施設を提供するとのコミットメントを再確認する。」というふうにしておるわけであります。
二月十日に明らかになった米議会調査局の報告書では、日本での強い反核感情のため、日本を原子力空母の母港にするという海軍の提案は潜在的にはかなり大きな世論の反対に直面することになるだろうというふうに、アメリカ側もこのことを海軍航空母艦ジョン・F・ケネディの退役提案という報告書の中で明確に言って極めて敏感になっている、こういう中なんですね。
これらの視察には、技術的分析のためノースカロライナ州チェリー・ポイントにある海軍航空補給廠の施設に送られ、日本側の要請により普天間飛行場に戻された部品も含まれていた。」こういう記載がまずございます。 それから、もう一ページめくりますと、これは四ページ目でございますが、「11 措置」のdということで、「責任のある者に対し、懲戒及び行政処分がとられた。」ということなんですね。
その公表文では「今次会合では、ノースカロライナ州チェリーポイント海軍航空補給廠に運ばれた本件事故機の残骸の一部を日本の米軍基地に戻し、日本側専門家が視察を行い、追加的な説明を受けることに合意した。」こういう文でございます。
そして現実に、同時に、防衛施設庁の方の横須賀、空母を接岸する十二号バース、現在二百七十七メートルを百三十七メートル延ばして四百十四メートルにし、新しいクレーン二基などの整備をやっておりますが、これにかかわって、一九九八年の八月二十七日、当時のGAOが「海軍航空母艦 通常型空母と原子力空母の費用対効果」と題する報告書の中で、特に横須賀の名を挙げて、横須賀の原子力空母母港化のために、原子炉管理施設の建設
米会計検査院が一九九八年の八月に米議会に提出した報告書、海軍航空母艦・通常型と原子力空母の費用対効果には、航空母艦の横須賀配備とそれを継続することの重要性を強調した上で、原子力空母配備の前段階として埠頭の延長、核推進力の修理・維持施設の整備が求められていると書かれております。 この報告どおりのことが横須賀で進んでおります。空母の埠頭、十二号バースの延長・拡幅工事でございます。
また戦時中では、私たち戦時中の教育を受けたんですけれども、お国、善しあしは別にして、お国のためにということで真剣に教育を受け、そして私自身は十五歳から少年飛行兵として予科練に行き、海軍航空隊に入ったという。そういうことで、何か若い者が目的を持って、そしてやっていくという、そのときには純粋にこの子供たちは目的を持って、そして頑張ってきた。
ジフェニルアルシン酸という、海軍航空隊がございましたので、化学兵器用に使ったんではないか、作ったというか、それを、何というか埋設処分というか、そこの辺は確たることは分かっておりませんが、茨城県の方でも会合を、専門家を集めまして専門委員会を開いて、本日、福田官房長官に要望するというようなことでございました。 窓口がどこになるのか。