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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1952-05-13 第13回国会 参議院 文部委員会 第32号

次にお伺いいたしますが、同じ施設大学海技專門学院で使うと、大学文部大臣所管である。海技專門学院のほうは運輸大臣所管である。予算文部省所管運輸省所管は別々である。従つて神戸商船大学学長というのと海技專門学院院長というのがあるわけですね。一体それはどんなにして運営して行かれるつもりか。紙の上でなくして、実際の場合を頭に画いて、やれるのかやれんのか。

矢嶋三義

1952-05-13 第13回国会 参議院 文部委員会 第32号

矢嶋三義君 海技專門の場合と言われますが、海技專門は、元の商船学校並びに高等商船学校別科を卒業した生徒を再教育して、高等商船学校卒業程度のものにするわけですね。そうすると、高級船員はあなたの説明によると、商船高等学校大学を卒業した者が高級船員である。その比率を四対六にしておられるのですね。だから海技專門生徒云々というのと、大学卒業生を必要とするというのは無関係ではないですか。

矢嶋三義

1952-05-12 第13回国会 参議院 運輸委員会 第20号

政府委員稻田清助君) 最初に、私さつき言い間違えましたが、越中島にあるものは海務学院でありまして、神戸運輸省所管の再教育海技專門学校、その点を謹んで訂正いたします。  それから越中島の問題でございますが、お話の通りでございまして、軍が使用いたしておりまする間に進駐軍に接収されたのでございます。その後警察予備隊に使用せしむるという條件の下に国のほうに解除なつたわけでございます。

稻田清助

1952-05-12 第13回国会 参議院 運輸委員会 第20号

小泉秀吉君 さように一つお願いいたしますが、その前に先刻の稻田局長お話では、海技專門学院というふうにおとりのようですが、ただ内容は私の質問と同じようですが名称が違うようで、局長の御発言は海技專門学院でなしに海務学院のことを仰せになつたことと私は了承いたしますが、その点多分局長もそうお思いだと存じますが。

小泉秀吉

1952-05-09 第13回国会 参議院 運輸委員会 第19号

文部省もその頃はそういうふうであつたように了承しておりましたが、この頃最近になりまして、殆んどこれは参議院を通過すればすでに確定するというところまで行つているのでありますが、運輸大臣にお伺いしたい点は、あの商船大学を作るということと従来海技專門学院でやつてつた教育と言いますか、高級船員資格昇格、或いは将来短期間に高級船員資格を取り得るような経歴を持つている者に再教育を施して、至急に高級船員

小泉秀吉

1952-05-09 第13回国会 参議院 運輸委員会 第19号

併しすでに前国会の終りにおきまして衆議院の文部委員会運輸省担当官の間に数回現地も視察せられまして、そうしてあの商船大学を設置するということになれば、現在の寄宿舎のほうはもとより別であるが、校舎のほうについてはその管理を文部省に移管するということと、そうして併しながら海技專門学院として必要な施設の使用は引続いて運輸省がして行くと、こういう協定ができておるのでありまして、小泉先生も恐らく御承知のことと

村上義一

1952-04-24 第13回国会 参議院 文部委員会 第27号

このことにつきましては、すでに昭和二十三年に船員教育委員会昭和二十六年には海技專門学院商船大学にすべきであるとの決議がなされております。又第六国会衆参両院文部委員会におきまして、できるだけ早い機会に海運の中心地である神戸市に商船大学を更に一校増設せられたいという要望があつたのであります。  

平島良一

1952-04-24 第13回国会 衆議院 本会議 第34号

付託後におきましても、文部委員会においてはなお愼重な審議を重ねまして四月二十二日に討論に入つたのでございまするが、共産党を除く各党を代表いたしまして若林義孝君より、海技專門学院運輸省の再教育施設であることは、応急の臨時措置としては十分な意義のあるものではあるが、本商船大学設置の上は、同大学付設教育機関たらしめることが、再教育事業のためにも望ましいという希望條件を付して賛成の意見を述べられ、次いで

竹尾弌

1952-02-12 第13回国会 参議院 文部委員会 第4号

次に船員教育につきましては、視察いたしましたのは、広島商船高等学校と、それから神戸にあります海技專門学院清水市にある商船大学、この三校を視察した次第でございますが、問題点として御報告申上げたい点は、広島商船高等学校におきまして、新らしい機械器耳予算不足のために購入できないので、近代的施設とのギヤツプがひどくて非常に困つている、従つて二十七年度予算に二千万円を要求したのでございますが、文部省で減額

矢嶋三義

1951-06-01 第10回国会 衆議院 文部委員会 第31号

第一四八六号) 一三九 同(清藤唯七紹介)(第一五四〇号) 一四〇 同(竹山祐太郎紹介)(第一四八七    号) 一四一 同(小松勇次紹介)(第一四八八号) 一四二 九州大学放射線従業員待遇改善に関する    請願柳原三郎紹介)(第一五四一号)一四三 本興寺宝物館建設費国庫補助に関する請    願(長野長廣紹介)(第一五六七号) 一四四 同(中村幸八君紹介)(第一五九七号) 一四五 海技專門学院

会議録情報

1951-05-29 第10回国会 衆議院 文部委員会 第29号

第一四八六号) 一三九 同(清藤唯七紹介)(第一五四〇号) 一四〇 同(竹山祐太郎紹介)(第一四八七    号) 一四一 同(小松勇次紹介)(第一四八八号) 一四二 九州大学放射線従業員待遇改善に関する    請願柳原三郎紹介)(第一五四一号) 一四三 本興寺宝物館建設費国庫補助に関する請    願(長野長廣紹介)(第一五六七号) 一四四 同(中村幸八君紹介)(第一五九七号) 一四五 海技專門学院

会議録情報

1950-05-02 第7回国会 参議院 内閣委員会 第30号

文部省で二十七人、それから厚生省の本省で四十人、引揚援護庁で七百人、余り的確な数ではございませんから、ほんの見込みでございますから……農林省で資材調整事務所関係で七百十六人、それから農事事務局で百六十五人、木炭事務所で四百六十五人、合計一千三百四十九人、それから通商産業本省及び通産局で三百九十八人、資源庁で二百三十一人、合計六百二十九人、後は運輸省本省の部局で六十四人、それから学校の方で海技專門学院五人

大野木克彦

1950-03-26 第7回国会 参議院 予算委員打合会 第1号

運輸省に例を取つて見ますると、運輸技術研究所海技專門学院航海訓練所というようなものには交際費があるのでありますが、同じ性質を有するところの商船学校海員養成所には交際費はないのであります。こういうふうなことを考えて見ますると、交際費或いは食糧費というものは何を基準として作つたのであるか、殆んど不可解な状態になると私は考えるのであります。この点お伺いいたしたいのであります。

藤野繁雄

1949-11-14 第6回国会 参議院 文部委員会 第3号

一方尚海技專門中心として商船大学を設けます場合には、御案内のように、大学設置審議会でございますか、の方にお諮りしなければならんのでありますが、海技專門は、御承知のように、戰災相当施設が惡くなつておりますか互いろいろと準備が必要であると思います。そういう点は今後一つ審議会とよく御相談もいたし、結論を持つて文部省にお願いして参るということに、私共の方では取り運ぶつもりでおります。

山口傳

1949-11-14 第6回国会 参議院 文部委員会 第3号

左藤義詮君 積極的にと申上げましたのは、文部省の無論設置委員会との関係がございますが、現在の非常な歴史を持つてつた神戸高等商船学校が焼けて、海技專門学院として復興しておる、その復興が十分できなければ、無論設置委員会を通らないわけでありますが、その復興に対して、できるだけ近い将来に大学にする熱意を持つて運輸省海技專門学院復興を積極的におやりになる御意思があるか、どうか。

左藤義詮

1949-05-17 第5回国会 衆議院 内閣委員会 第23号

土橋委員 この問題につきましても、私はやはり総合的に海務学院高等商船学校海技專門学院商船学校、特に第八項目にあります海員養成所、こういうようなものについてはてんでんばらばらではなくして、もつと総合的にこの内容が充実せらるるように、運輸省としては万全の措置を講ぜられることが、將來のわが國のために必要であろう、かように考えておるのでございますので、こういう点について將來の方針なり、いろいろな御計画

土橋一吉

1949-05-06 第5回国会 衆議院 内閣委員会運輸委員会連合審査会 第1号

さらに第三節は、本省付属機関でありまして、運輸省に残置する付属機関として、中央氣象台船舶試驗所海務学院高等商船学校海技專門学院商船学校航海訓練所海員養成所を規定しましたが、このうち高等商船学校商船学校とは、國立学校設置法に基く商船大学商船高等学校としたいと考えておりますが、一應從來のまま規定いたしました。

大屋晋三

1949-04-25 第5回国会 衆議院 内閣委員会 第14号

さらに第三節は、本省付属機関でありまして、運輸省に残置する付属機関として、中央氣象台船舶試驗所海務学院高等商船学校海技專門学院商船学校航海訓練所海員養成所を規定しましたが、このうち高等商船学校商船学校とは、國立学校設置法に基く商船大学商船高等学校としたいと考えておりますが、一應從來のまま規定いたしました。

坂田道太

1949-03-26 第5回国会 参議院 運輸委員会 第4号

これは元々は我々がやつておりましたが、一時文部省に行つておりましたのを、戰爭中移管を受けておりまして、高等商船学校或いは地方の商船学校、それから海技專門学校海務学院船員養成所といつたような、こういう多種多樣の教育機関を運営いたしまして、そうしてこれらのものを総合的に利用して、例えば戰爭中短縮教育をいたしておりまする船員技倆を向上するために補修教育をするとか、或いは戰時中に低下いたしております

秋山龍

1947-07-22 第1回国会 衆議院 運輸及び交通委員会 第5号

ただ海技專門學院だけは、これは終戰後再教育をいたしております。また高等商船學校戰災によつて校舎が焼けまして、非常に不自由でございます。この點は先ほど申しましたように、船を岸壁に繋ぎまして、これをもつて學校に充てる、こういうような工作をして再教育をやつております。それから甲板部機關部の方へまわしまする船員は、お話のように無線の關係はこれはできるだけ技術を温存したい。かように考えております。

大久保武雄

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