2015-05-18 第189回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
海上保安庁では、当時の海上模様やその後の気象、海象予報を勘案の上、人道上の観点から、鳥取県美保湾への緊急入域を認め、同船は沖合で錨泊いたしました。 本件については、内閣官房や外務省等の関係省庁と緊密に連携し、情報の共有、対応の検討などを行った上で、海上保安庁において立入検査を行っております。なお、立入検査の結果、特異事象は確認されませんでした。
海上保安庁では、当時の海上模様やその後の気象、海象予報を勘案の上、人道上の観点から、鳥取県美保湾への緊急入域を認め、同船は沖合で錨泊いたしました。 本件については、内閣官房や外務省等の関係省庁と緊密に連携し、情報の共有、対応の検討などを行った上で、海上保安庁において立入検査を行っております。なお、立入検査の結果、特異事象は確認されませんでした。
また、ジェーン号の船体撤去については、まず油と積荷である石炭の抜取り作業を、その後船体の撤去作業を行う段取りであり、海上模様等を勘案すると二か月程度の期間が必要であると承知しております。
それによりますと、同船の撤去等に要する作業日数は、ジェーン号が乗り上げた海域が太平洋に面しており、風やうねりの影響を直接受け、海上模様が悪化した場合撤去等の作業を実施することができなくなることなどを勘案しまして、条件が良ければ総作業期間は二か月程度であるとの説明がなされております。
当庁は、外務省とも協議し、行動中の函館海上保安部所属の巡視船「つがる」を同海峡中央部付近の北緯四十一度二十八分、東経百四十度三十二分の地点に急行させ、待機させていましたが、八日午後においては当該海域付近は海上模様が悪く、救助作業が困難であったため、外務省とも協議の結果、同海峡中央部南側の北緯四十一度十分、東経百四十度四十三分の地点において救助することとしまして、午後四時三十二分ころまでにプランジャー
なお、実際にも当該原潜と巡視船との間等で適宜連絡をとり、現場の海上模様を勘案して海峡中央部南側において救助が行われたものと承知しております。
○政府委員(勝目久二郎君) 当時の海上模様は、大変低気圧が近づいておりまして非常に危のうございました。そこで、まず乗組員の救助ということを第一に考えまして、乗組員をまず救助したわけでございます。
○説明員(野呂隆君) 日昇丸の乗組員からの供述を総合いたしますと、事故発生当時の天候は雨または霧、南東の風毎秒約五メートル、波高約一メートル、視程約二キロメートルということでございます、一般的に、この程度の海上模様であれば救助活動は可能であったというふうに判断されると思います。
さらには、海上模様によりましてやはり立ち入り検査ができない場合には、たれ幕とかあるいは拡声機等によりまして領海内へ不法に立ち入らないように警告した上、領海外に退去さしております。 このようないま先生がおっしゃったようないろいろな情勢を踏まえまして、私どもとしましては関係省庁とも協議いたしまして、自後厳重にこれを取り締まるという方針を立てまして、そのような対処方針をとったところでございます。
当時の海上模様は、曇り、北々東の風一メートル、視界一・五ないし二海里でございました。第二に、措置状況といたしましては、事故発生の情報を入手した第三管区海上保安本部は、直ちに出動可能な東京湾内海上保安部署所属の全巡視船艇及び羽田航空基地所属機を出動させるとともに、横浜海上保安部内に栄光丸海難事故対策本部を設置し、油流出の状況調査及び防除作業を行いました。
当時の海上模様は、曇り、北北東の風毎秒五メートル、波浪は二十ないし三十センチメートル、視界は二ないし三キロメートルでございました。 なお、第十雄洋丸は四万三千七百二十三総トン、乗り組み員三十八名、船主は雄洋海運株式会社でございます。
これはやはり天候と海上模様が相当影響いたしますが、何はともあれ年末までには何とかケリをつけたいということで、努力をせっかく傾注しておる次第でございます。
当時の海上模様は、曇り、北々西の風十七メートル、うねり五——うねりの高さ二ないし四メートル、波四——二ないし三メートルであった。
リベリアタンカーのジュリアナ号でございますが、総トン数が一万一千六百八十四トン、原油を二万一千七百四十二トン積載いたしまして、昨日午前中新潟港外に着きまして、当時の海上模様が悪化しておりましたので、適当な場所に位置を変えようといたしましていかりが引けまして、昨日の十六時四十分ごろ新潟西防波堤の南西大体二千三百メートルの地点に乗り上げまして、SOSを発信いたしまして、十七時三十八分ごろ船体中央部から二
なお、サルベージも三月十八日現場に到着いたしまして、この引きおろし等をはかったのでございますが、非常に海上模様が悪くて、その引きおろし作業は不成功に終わっております。二十日に海軍の救難部長が現場に到着いたしましたときには、すでに約十二万トンの積載油のうち三万トンは流出いたしておりました。