1967-10-05 第56回国会 参議院 石炭対策特別委員会 閉会後第1号
操業の概況でございますが、三池炭鉱は三川坑、宮ノ浦坑、四山坑の三坑口を稼行しておりまして、鉱山労働者の数は約一万一千二百名で、月産四十三万トンを出炭いたしております。今回災害を発生いたしました三川鉱は三池炭鉱の主力生産坑口でございまして、鉱山労働者の数は約四千五百名で、月産十四万八千トンを出炭いたしております。
操業の概況でございますが、三池炭鉱は三川坑、宮ノ浦坑、四山坑の三坑口を稼行しておりまして、鉱山労働者の数は約一万一千二百名で、月産四十三万トンを出炭いたしております。今回災害を発生いたしました三川鉱は三池炭鉱の主力生産坑口でございまして、鉱山労働者の数は約四千五百名で、月産十四万八千トンを出炭いたしております。
それから奥の本暦三十六卸におられた方、あるいは上層の三十六卸におられた方は宮ノ浦坑に通ずる入気坑を通りまして表へ避難をさせた。こういう一応の概略の報告は参っておりますが、実際に末端の係員が各労働者にどういう指示をしたかということについて、先ほどまだはっきりしたことを調べていないと申し上げましたので、大体の連絡系統はそういうことで、ございます。
そのほかに、この途中で宮ノ浦坑の百八十メーターから約二千の人気が入ってきておるわけであります。合わせますと六千ということになるのでございますが、六千を通しますと、現在の三百五十メートルの坑道では風速が規則できめられた風速よりも、若干制限速度よりも多くなるわけであります。したがいまして、風を一部千立米を従来からございました坑道を通しまして分流いたしまして通しておる。
三池炭鉱の御紹介を簡単に申し上げますと、三池炭鉱は、三川坑、宮ノ浦坑、四山坑の三つの坑口を稼行しておりまして、鉱山労働者の数は約一万一千二百名でございまして、月に四十三万トンの石炭を産出いたしております。今回災害を発生いたしました三川坑は、三池炭鉱の主力生産坑口でございまして、鉱山労働者約四千五百名で月産十四万八千トンを出炭いたしております。
貝島大ノ浦炭鉱は明治十七年に開発されて今日に至っておるのでありますが、昭和三十八年九月の再建計画に基づき、満之浦炭鉱、菅牟田炭鉱、第二大ノ浦炭鉱を分離、第二会社化し、六億円の再建資金、借り入れ金の返済猶予、金利のたな上げ等による資金負担の軽減をはかりながら、現在では大ノ浦坑と中央露天に集約再建中の炭鉱であります。
三川坑以外の宮の浦坑、四山坑につきましては、現在現地の鉱務監督官をして厳重な保安検査に当たらせておりますが、さらに保安の万全を期するため、このたび北海道大学名誉教授佐山団長以下十名の技術権威者からなる調査団を派遣し、保安状況の調査を行なわせることといたしました。