1956-04-16 第24回国会 衆議院 法務委員会 第25号
次に、宋と浜田の服装に被害者の血痕が付着しておった、これも事実であります。現在起訴されております四人の被告のうち二人が、これは浜田と山本らしいのでありますが、その供述といたしまして、宋があの傷をつけたように思うという供述をいたしておるのであります。これは警察ばかりでなく、家庭裁判所におきます審判調書あるいは少年の供述調書にもそれが出ております。
次に、宋と浜田の服装に被害者の血痕が付着しておった、これも事実であります。現在起訴されております四人の被告のうち二人が、これは浜田と山本らしいのでありますが、その供述といたしまして、宋があの傷をつけたように思うという供述をいたしておるのであります。これは警察ばかりでなく、家庭裁判所におきます審判調書あるいは少年の供述調書にもそれが出ております。
○政府委員(長戸寛美君) 警察は、先ほども申し上げましたように、京都西陣署において検挙いたしたのでありますが、宗と山田は西陣署に、山本は下鴨署に、浜田は川端署にそれぞれ留置したのでございますが、それらの調べた者が少年係であったかどうかは、今までの報告ではわかりませんので、調査の上お答えいたしたい、かように考えます。
○政府委員(長戸寛美君) 浜田少年は昨年の六月八日、山田少年は昨年の六月十日、宗少年と山本少年でございますか、これは十月二十二日保釈出所いたしております。――ちょっと訂正いたします。六月十日の保釈出所いたしましたのは山本の方かもしれまん。それから十月二十二日が宗と山田であろうと思います。
……浜田局長にちょっとお伺いしておきますが、この中部のラジオ放送の場合ですが、御承知のように周波数が非常に混雑しておる。それから従って混信度も非常に多く、ラジオの何といいますか、声の質というものも非常に乱れがちになっておることは御承知の通りなのです。これは日本だけではなく、ヨーロッパにおいてもアメリカにおいても非常に混線が激しい。
ところが今の浜田さんの御説明では、それに対する的確な説明をしないで、むしろ苦心をしたがやむを得ずこうなってしまったのだ、やはり納付金にすることが好ましい、こう今でも考えているのだというふうに御説明があった。
それから広島−浜田、これは幕の内隧道でございますが、これは五割六分。それからこの近くでは一級国道にございます戸塚が九割三分。戸塚は一〇〇%をこす場合もございまするが、この表には九割三分ということになっております。次に九州佐賀県の住ノ江橋及び富山の立山など、立山は一部完成でございますが、これらは三割一分。非常に低い率になっております。それから静岡県の掛塚橋が五割三分。
民間放送に対しては四十四条の適用ができないというようなことを浜田さんはおっしゃっておりました。その通り私も承知しております。
これは浜田監理局長の時代ではないのでありまするから、その前からおいでになる次長その他によって御答弁を願いたいと思うのであります。
ついでに浜田さんに一点お伺いしたいのですが、今のことに関連いたしまして、今日商業放送が非常に発達してきたわけですが、放送法の第一条と第四十四条とに照らし合して、今日商業放送の放送内容等に関する指導あるいはこれに対する監視といったような面からは、どういうような処置を講じておられるのか。
する請願(委員長報告) 第一六〇 宝泉寺、隈府両駅間鉄道敷設促進に関する請願(委員長報告) 第一六一 釧路、北見相生両駅間等鉄道敷設促進に関する請願(委員長報告) 第一六二 上川、十勝三股両駅間鉄道敷設促進に関する請願(委員長報告) 第一六三 富内、十勝清水両瞬間鉄道敷設工事再開に関する請願(委員長報告) 第一六四 石勝線鉄道新設に関する請願(委員長報告) 第一六五 広島県加計画、島根県浜田市間鉄道敷設促進
一男君 委員外の出席者 郵政事務官 (大臣官房電気 通信監理官) 松田 英一君 郵政事務官 (郵務局次長) 渡辺 秀一君 郵政事務官 (簡易保険局 長) 小野 吉郎君 郵政事務官 (電波監理局 長) 浜田
○浜田説明員 郵政大臣がおられませんから、電波監理局長からお答えします。日本文化放送協会の株式会社への改組は、目下着々進行中の模様であります。ただいま発起人が選出されまして、全体で二十六名だそうでありますが、その発起人がいろいろ改組案を練っておるそうであります。その改組案の詳細はまだ当方に提示がありませんので、今これにつきまして最後的な判断をする段階にはなっていないと考えております。
○浜田説明員 放送法の改正にっきましでは、これを全面的にやるか、あるいは部分的にやるかということは問題であります。とにかく全面的な検討を鋭意続行中であります。
○浜田説明員 放送法につきましては、全面的の検討は前から鋭意進行させておりますが、まだ十分に最後の成案を得ませんので、一生懸命やっておる次第であり、ます。
○浜田説明員 文化放送協会は経営上特に財政的な危機に際会いたしましたので、前大臣が原安三郎、渋沢敬三両氏に事態の収拾及び再建を委嘱されました。その結果株式会社に改組する案が目下進められておるわけであります。ただいまお話の電通報ですか、その記事に、浜田電波監理局長が河野農相の意を受け云々ということは、それは少し事が違います。
○浜田説明員 ちょっと説明に補足を加えますが、河野農相の意を受けたというふうな記事は、私が前大臣の命によって河野さんとお会いしたというわけではありません。主管大臣でないところの農林大臣がこの放送問題について私に意見を聞かれるについて、一応松田郵政大臣の承認を得て、河野農相の希望によってお会いしたいことがあります。そういうわけでございます。それにつきましての内容等につきましては後刻申し上げます。
大達君は、明治二十五年一月島根県浜田市に生まれ、東京帝国大学校科大学政治科を卒業後、内務省に職を奉ぜられまして、福井県知事、満州国国務院法制局長、同総務長官、陸軍嘱託北支派進軍顧問、内務次官、昭南市長、東京都長官、内務大臣等の要職を歴任され、さらに、戦後においては、昭和二十八年、島根県民の輿望をになってめでたく本院議員に当選せられて以来、法務委員、地方行政委員等を務められる一方、第五次吉田内閣の文部大臣
私は島根県浜田の底びき船第一大和丸の船員でございます。第一大和丸十名、第二大和丸十一名、二隻が一組で操業いたします。昨年十一月三日夜十一時ごろ浜田港を両船とも出港いたし、五日の朝から操業を開始いたしました。対島ウエストの方にて操業中韓国警備船が現われ、小銃を発砲しながら私たちの船の右舷につけ、韓国人が四、五名小銃を持って乗り移ってきました。
その際私らは萩に行って実情を見たのでございますが、乗組員の留守家族の生活というものは目に余るものがありまして、全く女ではどうかと思うような仕事までして生活を維持しているような実態を見て参った次第でございますが、この十八人あるいは二十人の留守家族の方が、浜田市で今生活しておられる状態は、どういう状態においてやっておられるのでありますか、その点をもう少しはっきりお話し願いたいと思います。
○田口委員 そういたしますと、船長のほかに乗組員が十八名か二十名程度おると思いますが、これらの乗組員は津田さんと同じ浜田市の方々ばかりでございますか。
また浜田八重子さんあるいは池上よし子さん、近藤春子さんというようなみずからその行為をなした体験者の御説明があり、ことに近藤さん、池上さんよりは同じく水揚げのうちの手取りというものの説明があったのでございます。
私は浜田の底びき船第一大和丸の調理員であります。第一号大和丸十名、第二号大和丸十一名の二そうで浜田を出たのは十一月三日の夜でございました。それから五日の朝から操業を開始いたして、九日の朝八時三十分ごろ韓国警備船に突然発砲され、五、六人の警備船の人が船に乗り移って……(「大きな声で言って下さい」と呼ぶ者あり)警備船の人が五、六人わしらの船に乗り移ってきました。
私の県は島根県でありますが、浜田方面その他出雲の方からもたくさんの漁船が出て、間々つかまえられる。そういう場合、あとに残った家族は非常に困窮しておるのであります。この給与保険も制度があるからにはいただいておるに違いない。けれども食べるに食べられなくてまた別な内職を求めたり、いろいろしながら暮しておるわけであります。
○椎名(隆)委員 この前も当委員会に長崎県席貸業組合連合会の従業婦組合長をやっている浜田八重子さんに来てもらいましたが、この方は自殺一歩前だというので、ようやく売春婦の中に入って子供さん三人を満足に育て上げることができたということです。
○椎名(隆)委員 それについて今度浜田八重子君はいいことを言ってくれたのです。一ぺん保護法によるおあしをもらいに行ってごらんなさい、あの横柄な態度、あれを考えたらもらいに行くことはいやになる、皆さんどうぞ行ってみてくれと私たちに実情を訴えている。もらいに行けば、そういうように横柄で、またもらえるのが間に合えばいいですよ。おそらく間に合えば売春婦にならなくても済んだ人間が相当あったろうと思う。
○浜田参考人 ちょっと御質問の意味が聞き取れませんでしたが……。
○浜田参考人 はあ。
浜田八重子さんにお尋ねします。浜田さんはこの肩書きを拝見いたしますと、長崎県の貸席業組合連合会の従業婦の組合長だ、こうおっしゃっていますが、この組合というのは働いておる方たちが自分でお作りになっておるもので労働組合と同じような組合ですか。
次に、中国地方のケーブル施設でありますが、これは山陽に偏在し、山陰方面は地元多年の要望にもかかわらず、ケーブル化が実現されなかつたのでありますが、ようやく昨年度岡山・松江間、本年度米子・鳥取間の完成により、山陰貫通ルートもその緒についたことになるのでありまして、この上はさらに松江・太田・浜田間、太田・三次・広島間及び鳥取以東京都に至る区間のケーブル化の促進により、貫通ルートの完成をはかるよう、当局の
秋田県仁井田村の地域給指定に関する請 願(飯塚定輔君外三名紹介)(第九三六 号) 一七九 秋田県十二所町の地域給指定に関する請 願(齋藤憲三君外三名紹介)(第九三七 号) 一八〇 秋田県小坂町の地域給指定に関する請願 (飯塚定輔君外三名紹介)(第九三八号) 一八一 秋田県船川港町の地域給指定に関する請 願(飯塚定輔君外三名紹介)(第九三九 号) 一八二 秋田県浜田村
○政府委員(富樫凱一君) この十九の貸付の事業のうち、上から行きまして広島、浜田までは、これは三十年度には完成いたしたい考えでございます。それ以下の道路につきましては、これはこの法律によりまして最終年度までには完成いたしたい考えでございます。
○政府委員(鈴木一君) これは出張所のありますのを全部挙げておりますが、先ほど最初に申上げました地図がございますが、これを一つ御覧頂きますと全国に七十八港ございまして、その中で出張所ができておりますのが三十八港でございまして、三十八港は黒丸で印をいたしておりますが、黒がない、ただ丸だけのがいわゆる萩であるとか浜田であるとかそういうふうな所で、これは出張所は置いてないのでございます。